庵野秀明展が継承しようとしているもの Part2

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庵野がその少年~青年時代に吸収してきた作品群を追体験する内面の旅だった第1章『原点、或いは呪縛』から様相は一転、第2章『夢中、或いは我儘』はとにかくがむしゃらに発信してきた庵野が先人たちに見出されるべくして見出され、プロとして羽ばたいてゆく一部始終を追体験する展示群。

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ついさっきまで同じ目線の高さで「あれいいよね!」「これ好きなんだよね」と語らい合っていた同級生が瞬く間に雲の上の存在になっていくが、自分はただ眩さに目を細めつつ地べたから見送るより他に術がない――そんな戸惑いをこのセクションでは存分に味わえることだろう。

※記事中の写真は全てクリックでFlickrのページにジャンプします。

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中学時代の油彩画。額装されてはいるがガラスは入っていないので絵の具のテクスチャを間近で存分に堪能できる

第2章でまず待ち受けているのは中学生の庵野が描いた油彩画。
幼さはあるが迷いのないタッチやストロークにはすでに才能の片鱗が見られる。

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静物画のセオリーに真っ向から刃向かうかのような構図

あえてパースを殺し、テーブルクロスのボーダーを水平に切り取ったレイアウト。小津安二郎やキューブリックを彷彿とさせて面白い。

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夕焼けで真っ赤に染まった宇部の町。この原風景の延長上にコア化した大地のビジュアルイメージがあったことは間違いないが、同時に日本人、ひいては人類誰もが抱く原風景でもあるからこそこうしたパーソナルな引用が効いてくるのだろう。

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1970年前後、少年時代に庵野が見ていたであろう宇部の風景写真。シンエヴァ第3村のモデル地・天竜二俣駅周辺は平松禎史の推薦だったそうだが、国鉄時代には全国にありふれていた風景でもある。
これ以降の展示にも「思い返せばこれって○○の△△まんまだな…」という発見は随所にあるが、いずれも庵野自身が子供の頃に受けたインパクトの強度、原風景・原体験が持つ普遍性への信頼、平たく言えば自身の感性と受け手の感性の合致への信頼、「俺がかっこいいと思ったものはみんなもかっこいいと思うに決まってる」のだと感じる。

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部誌やスケッチブックの中身も非常に気になる!
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ザンボット3のシールは部誌などと一緒に学習机の隅っこからでも出てきたのだろうか

実家で保管されていた中学時代のスケッチブックや自作マンガの描かれた自由帳、賞状や盾、UCC(宇部中学地学部)の部誌など。

…と、ここまでは「学年に1~2人いた絵の上手いおたく気質の男子」の生い立ちを振り返る展示と言って差し支えない。庵野と同年代の人なら今まで以上に彼に親近感を抱いただろう。

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しかし高校入学後、美術部在籍中の「宇部高美術部作品集」、「ナカムライダー」から庵野は映像面での才能と同時に自らが浴びてきたテレビまんが・まんが映画から吸収したエッセンスを再構成・現出せしめる才能を芽生えさせる。
「ナカムライダー」に見られる特撮アクションにおける様々なお手本的カメラワークや構図の意識的な模倣はもちろん、「宇部高美術部作品集」に収録された爆発シーンの作画には「タイムボカン」の敵メカの爆発と同じくネジやバネなど機械を意識させる破片が飛び散る(「ヤッターマン」以後この描写が減ってしまったのを庵野は東京国際映画祭のトークショーでも嘆いていた)し、「355」で少年が在校生を射殺するごとにカウントダウンされる数字は庵野が大好きな「謎の円盤U.F.O.」などITC作品で多用される書体Eurostileを真似てレタリングしており、自身が作品のどんな要素を愛しているかをこの歳にして高解像度で自覚していると気づかされる。
また庵野は「フィルムの最後に『おわり』と出せば作品は終わるんだとこのころに学んだ」とも語っている。庵野にとっての作品制作の基礎はこの当時すでに確立していたようだ。

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大芸大映像計画学科に進学した庵野の才能は加速度的に開花してゆく。
「アオイホノオ」で大々的に取り上げられたこともあり今では誰もが知るところとなった「じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ」や「Tea Time」などの原画や絵コンテの極めて良好な保存状態に驚いた人も多いだろう。
特に「Tea Time」は原画が全て現存していたおかげで今回の展示のためにカラー社内での2K再撮影が可能となったそうだ。東京展で開催されたトークショー「見てから聴く?聴いてから見る?庵野秀明展徹底解説」では三好寛氏も「もともと8ミリで撮影してた作品の2Kリマスターって35ミリに換算したら一体何Kになるんでしょうね…」とその画期的な試みについて笑顔で述懐していた。

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DAICON FILM版「帰ってきたウルトラマン」Aパート絵コンテの最後に日付が書き込まれている
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「一応 ’82 6/28」

同トークショー内で三好氏は本展のための資料整理にあたって、プロット・絵コンテや企画書などのほとんどに日付が記載されていたおかげでスムーズに時系列ベースの整理ができた点を強調していた。
作品発表から時間が経つにつれ当事者ですら記憶が錯綜しがちな昨今を見れば明確なタイムスタンプを刻む意義の深さは言うまでもない。

ところでこの「帰ってきたウルトラマン」のコンテ用紙には東映動画のロゴが印刷されている。恐らく当時の梅田東映パラスに入っていた東映直営のアニメショップ、アニメポリスペロで購入されたのだろう。

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「じょうぶなタイヤ!」絵コンテも非常に良好なコンディションで保管されていた

大芸大映像計画学科のコンテ用紙に描き込まれた「じょうぶなタイヤ!」の絵コンテ。
走行シーンなどでリピートが使われているとはいえ、ペーパーアニメと聞くとどうしてもパラパラマンガの延長を想像してしまうためつい行き当たりばったりで描いていると思いこんでいたが、改めて秒数まで管理された絵コンテが存在した――大学の課題で制作しているのだから当たり前なのに――事実に新鮮な驚きがあった。

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「ウルトラマン」八つ裂き光輪アニメ素材のスチルを使った巨大なタペストリー
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本展のために三枝徹氏がリメイクした「帰ってきたウルトラマン」マットアロー1号

DAICONⅢ以後、DAICON FILMは来るべきDAICONⅣに向けたスタッフ集めとその育成を兼ねて8ミリ特撮映画を制作する。
さすがに「怪傑のーてんき」や「愛國戰隊大日本」の展示は叶わなかったようだが、代表作とも言える「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」の展示には多くのスペースが割かれていた。
特にマットアロー、マットジャイロは三枝徹氏自身が当時と同じ方法で展示用にリメイクされるほどの熱の入りよう。

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大阪展から追加展示されている当時もののマットアロー1号

後日DAICON FILM公式によって当時もののマットアロー1号が発見され、大阪展からはリメイク版と並んでの展示が実現した。
スケール的にリメイク版は発進シーンなどアップ撮影用、当時ものは吊り操演用だろう。
奥にある電話ボックス型の貯金箱も同時に発見されたもので、劇中ミニチュア代わりに使われている。

アロー、ジャイロともに素材が紙で曲げ加工が困難なことから本家のような流線型ではなく、フォルム自体は「ウルトラマン80」スカイハイヤーの印象に近い(当然スカイハイヤーのミニチュアも第1章に展示されている)。コンテナによる武装の換装システムはやはりサンダーバードに着想を得たのだろう。

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MATの隊員服・バッジさえも良好な保存状態

東京展では「DAICONⅣオープニング」の庵野が担当したパートを中心に編集されたダイジェスト映像のスクリーンによってルートが大きく二分され、向かって右側が大学在籍中の映像作品とその原画など、左側が「DAICONⅢ・Ⅳ」「超時空要塞マクロス」など学外での活動とプロのアニメーターとしての活動と順路形成されていた。
時系列的には「DAICONⅢ」のあと「マクロス」に参加し「DAICONⅣ」制作の順序となるため、これらの展示については「Ⅲ」~「Ⅳ」で2年間を経ていることなどある程度の予備知識がないと歴史がわかりづらいかもしれない。

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DAICONⅢのDAICON号原画とそのセル

そこで当エントリが推奨する着目ポイントが「原画の鉛筆線の太さ」である。
「DAICONⅢ」のセル画(予算削減のためアセテートフィルムを裁断してパンチ穴を開けた手製なので厳密には「セル」画ではないが)へのトレスはすべて人力による手描きであり、8ミリ撮影も相まって現在視聴できる完成映像では原画から欠落した情報があまりにも多い。しかし本展では原画も展示されているおかげで原画段階での情報量を確認できるのがとても有意義だ。この機会を逃す手はない。

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楽しんで描いているのは伝わってくるが、描線ひとつとっても技術的にはまだまだ荒削りな爆発

「DAICONⅢ」で爆破されるヤマトとメーサー車。制作に声をかけられた時こそ乗り気ではなかったそうだが、細かく描き込まれた破片の演技などいざ実作業に入るととても楽しんで描いていることが絵を通して伝わってくる。
しかし描線そのものはかなりラフで、アニメ作画においての鉄則「形状を大事にする」が守られているとは言いにくいのも確かだ。

ともあれこの映像はDAICONⅢ来場者からの大喝采を浴び、手塚治虫までもがこれを作った奴らと話がしたいと楽屋を訪れたエピソードは今や語り草(その模様を撮影した写真も展示されている)。

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DAICONⅣ冒頭、DAICONⅢダイジェスト用パワードスーツ設定画。ディテールの詰め具合やBL影の使い方にスタジオぬえの影響が強く出ている

そしてその場で板野一郎から「マクロス」への参加を請われ上京し、2年間プロアニメーターのイロハを叩き込まれた庵野がDAICONⅣで作画した原画がこちら。

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バレルロール&分離合体しながらミサイルを回避するウルトラホーク1号。スクリーンではカラーによる同カットの原撮映像も見られる

Ⅲ当時の原画と何度でも往復して確認してもらいたい。ギンギンに尖らせた鉛筆で描いているのが一目瞭然である。
DAICONⅣも8ミリ撮影である以上、ここまで緻密に詰め込まれたディテールもやはり完成映像では大部分の情報が欠落する運命にある。だがそこに線があった事実、そしてその線を通じて何かを伝えようとしていた作り手の意思はフィルムに定着する。逆に言えば意思の籠もっていない線は必ず受け手にバレる。そんな心構えも学んだ時期だったのだろう。

「マクロス」関連の展示はすべて撮影不可だが、その作画を見ても初期から「愛は流れる」、そして劇場版「愛・おぼえていますか」へと描線の洗練度合いが上がっているのがわかるだろう。
また人物作画がめっぽう苦手とされる庵野が描いた一条輝の顔も興味深い。

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空中を乱舞する剣。進行方向が重心を貫くミサイルと異なり暴れ回る動きに板野サーカスを発展させたオリジナリティがある

Ⅲ当時、いわゆるタイムシートにあたる撮影順もろもろの注意書きは原画の脇に書き込まれていたようだ。プロの現場を知る前の手探りだった制作状況については過去いくつかの媒体で語られていたが、本展ではその実態そのものに触れられる。

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爆風で吹き飛ぶビル、更地になった丘に忽然と生える針葉樹などの原画も余すところなく展示されている。これらも完成映像で確認できない情報の宝庫だ。

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動画トレススタッフ宛に書かれた記念の寄せ書き

さて、「DAICONⅢ」のセル画の大部分は制作費回収のため会場で催されたオークションで有志に買い取られ散逸している。
神村氏曰く「あのとき買ったよって人、今日まで一人も見たことがない」そうで、もし現在も所持している落札者がいれば是非とも一度連絡してほしいとのこと。

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ゼネプロ時代のイラストなどはほぼ全て撮影禁止なので注意!

ゼネラルプロダクツ(ゼネプロ)時代のセクションでは「DAICON FILM版マイティジャック」「同・サンダーバード」など世に出なかった(出るわけがない)企画の数々の設定画とともに当時のガレージキットのパッケージ、雑誌やLD-BOX解説書へ寄稿した生原稿・イラストなどが多数展示されている。サンダーバード全話LD2号BOXは自分も持っているが、ここで解説書の実物を見るまで寄稿の存在を失念していた。
展示スペースの都合から大阪展では月刊NEWTYPEの表紙を飾ったα・アジールの原画など一部の展示がかなり上の方に掲示されている(上写真・右上)のが少々残念だった。

庵野展に限った話ではないのだが、展示物の撮影が許可されている展覧会ではスマホを構えて1枚ずつ撮っては横移動して…と凄まじいスピードで歩き去っていく人をよく見かける。人の楽しみ方に口出しするのも野暮だけれど、印刷や写真には決して出ない情報――消しゴムの跡は勿論、黒鉛の光沢差で筆順さえ鑑賞可能なのが肉筆原画展示の醍醐味だと自分は信じている。作品の詳細な写真は図録を買えば大抵見返せるのだから、せっかく写真を撮るなら展示場の様子など記録に残らない記憶と紐付けられた情報の定着に活用し、展示物は一つ一つじっくりと肉眼で味わってみてほしい。ただし本展では展示物の撮影可/不可がとても入り組んでいるので、展示場全体の撮影時にはお気をつけて。

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ゼネプロを経ていよいよGAINAXが旗揚げ。「王立宇宙軍」の展示はメカニック・美術デザインとクライマックスのロケット発射シーンの原画が中心となっている。
※東京展では時系列どおり「王立」の前に「ナウシカ」「火垂るの墓」などトップクラフト~スタジオジブリ時代の展示があった。本記事は大阪展の展示順に従う。

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地球とは別の文化を一つ創り上げるにあたってのアプローチメソッドがこれらの設定画から垣間見える。
液体燃料ロケットを開発しているのだから機械工学面では地球と大差ない、従って内燃機関を用いた車両のメカニズムも地球のそれと大きく異なることはない…といった設計思想が車体下部にちらりと見えるトランスミッションやサスペンションの形状から読み取れる。

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メカニズムを地球と同等に揃えつつ如何に「地球にある文明っぽくなさ」を演出していくか、駅のプラットホーム上の構造物ひとつにまでそのせめぎ合いがあったようだ。

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「王立」で庵野はメインのアニメーター・作画監督として以外にも各種設定やデザイン、画面設計、アクションカットの提案など多くの役割を担っている。

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作画の演技プランについてもディテールをどこまで追いかけるかなど作品全体のバランスを見通したコントロールを行おうとした跡が展示から見られる。「ナウシカ」「火垂るの墓」で宮崎駿・高畑勲の両巨頭と仕事をした成果だろう。

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離床シーン、ローンチパッドを包む噴射煙の原画。ここでも煙の頭の取り違えが起きないよう主要な箇所に記号が振ってある。

このセクション、ここまでは自分の思い入れが大きい映画の設定画を実物で楽しめて嬉しいな程度の感慨だったのだが、次に紹介する展示に度肝を抜かれた。ああ庵野展は本気だ、と。

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誰もが知る離床シーン、舞い散る氷片の演技をつけたゲージを透明フィルムに印刷し、BG原画(白黒反転)の上に重ねた展示。

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これは数年前Twitterを賑わしたデマ「王立宇宙軍の離床シーンの氷片は一つ一つナンバリングしてある」を一次ソースでもって否定するための展示と言って間違いないだろう。
「ナンバリングしてある」だと前述のミサイルや煙のように「キーフレーム+タメツメ線のみで指示している」かのような誤解を与えてしまうが、正確には「メインの芝居をしている氷片にあらかじめ落下の動線ゲージを指定し1コマで中を割っている」のだとこの展示を見れば一目で理解できる。

長年にわたって尾ひれを伸ばしながら広められてきた庵野自身とその作品へのデマや憶測、風評を払拭する機能も果たしているのが本展なのだ。

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「トップをねらえ!」のセクションはガンバスターの修正原画や企画書、マシーン兵器・エクセリヲンほかメカデザイン案、プロット案が展示。
レコード店やアニメショップの店頭で死ぬほど見た販促ポスターも懐かしい。

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「トップ」セクションで最も重要なのはなんといってもこの「檄文(三好氏ら展示スタッフ間では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』所信表明など庵野が折に触れて発表する一連の文章をそう呼称しているそうだ)」だろう。
書面の内容から推察するに各アニメ誌編集部など関係各所へ送付されたFAXであろうか、日付は平成元年3月22日、第2巻が発売されてからおよそ2ヶ月が経った頃にあたる。
ここでは写真の掲載に留め、内容のテキスト引用は控えておく。Flickrの原寸写真でも判読は可能だが、できることならこれは本展会場での一読を願う。とかくわがまま勝手に自分の好きなことばかりやっていると未だに評されがちな庵野が如何に自らを「作品の奴隷」と規定しているか、その真相がこの2枚のFAXに詰まっている。

庵野秀明展-45

<Part3に続く>

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