庵野秀明展が継承しようとしているもの Part1

昨年10月1日~12月19日の国立新美術館での開催を皮切りに、今年2月14日~4月3日の大分県立美術館を経ていよいよ5月16日からあべのハルカス美術館での巡回展開催が始まった庵野秀明展(以下『庵野展』)へ初日朝から行ってきた。東京展にも2度足を運んでいるので個人的にはつごう3回目の鑑賞となるが、見るたびに新しい発見がある…というよりも前回から半年の咀嚼期間をおいての3回目が消化によかったのだろう、1~2回目には展示物ひとつひとつから直截的に得ることで精一杯だった様々な情報が絡み合い、立体的な理解に繋がったように思える。

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大阪展入場口の巨大看板。

そんな視点から、ここでは庵野展が我々に届けようとしているものが何なのかについて書いていきたい(全3回予定)。

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東京展の入場口前待機列。感染症対策のため日付・入場時間指定制を採っていた

同展が掲げるキャッチコピー「庵野秀明をつくったもの/庵野秀明がつくったもの/そして、これからつくるもの」のとおり、同展は庵野が生まれ育っていく過程で影響を受けた映画やマンガ、テレビまんが(これについては後述)の展示を中心とする第1章『原点、或いは呪縛』、中学時代の油絵に始まり高校~大学での8ミリ映像、DAICON FILM時代を経てTV版「新世紀エヴァンゲリオン」までの作品を振り返る第2章『夢中、或いは我儘』、「EoE」以後、アニメから距離を置いた数年間の「ラブ&ポップ」「式日」などの実写監督作品や幾つかの映画への客演、そして「館長庵野秀明・特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」「シン・ゴジラ」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」までを網羅した第3章『挑戦、或いは逃避』、間もなく公開を迎える「シン・ウルトラマン」と「シン・仮面ライダー」に関する展示の第4章『憧憬、或いは再生』、庵野秀明を庵野秀明たらしめてきた全てへの謝辞で締めくくる第5章『報恩、そして感謝』と、過去の庵野・現在の庵野・未来の庵野からなる3部5章で構成されている。

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入場口で待ち受けるキャッチコピー@大阪展

まず最初に明確にしておきたいのが、同展の展示はすべて庵野の頭の中をぶちまけ、体系化し、閲覧可能にしたものである点。
「庵野秀明」展であり、庵野秀明「作品」展では決してない。

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そのコンセプトは東京展においての第1章の展示がまざまざと物語っている。

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庵野が大好きなメカニックがみんな入ってきた入場者のほうを向いているレイアウト@東京展

特撮博物館や特撮のDNA展などでの展示がそうだったように、通常はこれら特撮プロップは入場者の見る角度を想定し、一番見せたいベストなアングルをそちらへ向けるのがセオリーである。
だが庵野展のこのセクションではMJ号もマットアローもスカイホエールもラビットパンダもサンダーバード2号も、奥に見えるデンジタイガーもバトルフィーバーロボもみな入場者の動線方向に頭が向けられており、いわばすべてがこちらへ「飛んできている」体裁でレイアウトされているのがわかる。
これぞまさに「庵野の頭の中をぶちまけた」展示に他ならないのである。

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バレた壁@東京展

周囲にはスタジオセットの裏側を模した「バレた壁」が張り巡らされ、そこに各章のタイトルが大書される。これもいわば普段は表に見せていない部分、裏側、つまり内面の旅を演出していると言えよう。

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ショーウインドウの中に陳列されたプロップたち@大阪展

大阪展では展示スペースの都合からか、これら特撮プロップはショーウインドウ内で同じ方向を向いていた。個人的には東京展同様に入場者の動線方向へ頭を向けていると出迎えられている感じで嬉しかったのだが。

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大阪展の「バレた壁」

東京展では第1章タイトル下には1/100戦艦大和(船の科学館・蔵)が展示されていたが、大阪展では庵野の父が愛用していた足踏みミシンが置かれていた。

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シンエヴァ見た人ならアオリで撮ってなんぼでしょ@東京展

ペダルとハンドルの連動するメカニズムは庵野がメカ好きになった原体験、と解説されているが、事故で脚を失った父親が片脚でも仕事ができるからと仕立業を選び、毎日ミシンに向かっていた姿とともに原風景として強く刻みこまれているのだろう。

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庵野が見て育ってきた映像作品のマルチスクリーンがプロップ展示の奥に見える@大阪展

さて、ここでこれから大阪展へ足を運ぶ人に是非とも注目してほしいポイント、庵野秀明を深く語ろうとする上でとても大事な要素がイースターエッグのように存在していることを紹介したい。それは特撮プロップ展示のショーウインドウの先にあるLEDマルチスクリーンの中にある。

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東京展では見ることが難しかったウルトラホーク1号の裏側@大阪展

このスクリーン、東京展では湾曲したスクリーンを用いて空間を区切るような非常に存在感ある展示レイアウトだったため来場者の多くが足を止めて眺めていたのだが、大阪展では写真のとおり目線の上に外れている。スクリーン下の空間には「この記事を見てなかったらヤマトじゃなくて裏番組の猿の軍団を見てたと思う」と庵野が述懐する「宇宙戦艦ヤマト」放送直前特集記事が掲載された少年サンデーなどが陳列されていて、そちらに気を取られてかあまりスクリーンへ視線をやる人が多くないように感じた。
このスクリーンには初代「ゴジラ」や「空の大怪獣ラドン」に代表される怪獣映画、「激動の昭和史 沖縄決戦」「日本のいちばん長い日」「独立愚連隊」など岡本喜八作品、「仮面ライダー」「快傑ズバット」「人造人間キカイダー」東映版「スパイダーマン」ほか等身大変身ヒーロー、「黄金バット」「天才バカボン」「空飛ぶゆうれい船」「マッハGoGoGo」「デビルマン」「マジンガーZ」、そして当然「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「伝説巨神イデオン」にいたるアニメーション、または「キャプテン・スカーレット」「ジョー90」「謎の円盤U.F.O.」といったITC作品、「宇宙大作戦」「バイオニックジェミー」など海外SFドラマ、もちろん「ウルトラマン」はては「ウルトラファイト」まで庵野が少年~青年時代に強く影響を受けた映像作品99本のオープニングや劇場予告などがモザイク状にリピートされている。
ちなみにここで聞こえてくるインダストリアルノイズ的な音はヤマトの艦橋内で鳴っているSE(大阪展では壁の向こう側から別の展示の音楽が聞こえてくるのでわかりにくいのがちと残念)。

マルチスクリーンを右上から順番に「あ、ゴジラだ」「小林稔侍の名前が見えたからキャプテンウルトラだな」と当てっこしていくだけでも楽しいのだが、順番に見ていくとこの中に異色を放つ8ミリ映像の画面が3つあることに気づくだろう。
その3つは「グループえびせん しりとりアニメーション」「セメダインボンドとG17号」「セメダインボンドは2度やる!」の3作品である。
見たことがなくても「2度やる!」でピンとくるだろうか、セメダインボンドは007/ジェームズ・ボンドをもじった短編スパイものアニメだ。

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「庵野秀明が見ていた作品年表」にもガンダムやイデオン、赤毛のアンと並んで明記されているグループえびせん作品

グループえびせんとはJAA(日本アニメーション協会)が開催したワークショップをきっかけに結成された自主制作アニメのサークルで、はらひろし。、ふくやまけいこ、原口智生、片渕須直などが参加していた。
片渕須直もWEBアニメスタイル内で連載していたコラム「β運動の岸辺で」第68回「でっかいものが消えてなくなる」などで当時を懐古している(別件で「大砲の街」の編集について調べていた最中に偶然行き当たった。ラッキー!)。
その上映会を見たときの感想として庵野は2014年の東京国際映画祭「庵野秀明の世界」で催されたトークショーに登壇した際こんなことを語っている

浪人時代にガソリンスタンドのアルバイトでお金を貯めて、東京へ遊びに行ったんです。東京タワーとアニメショップとアニメスタジオに行きたかったので。そのときに、PAF(プライベートアニメーションフェスティバル)を見に行ったんです。PAFは自主制作をしてる全国のグループが上映作品を提出して、回り持ちで上映会をやる。僕は中野でやっていたPAFで、はらひろしさんの『セメダイン・ボンドとG17号』を見たんです。『あ、紙でいいんだ!』という、本当に目から鱗でした。アニメはセルじゃないといけないと思いっていた固定観念がすごくバカらしくなってきて。ペーパーアニメはそこから。

Movie Walker「庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【アマチュア編】高校時代~DAICONを語るトークショー濃密レポートPart2」

「しりとりアニメーション」「セメダインボンド」2作、いずれの作品も現在の視聴は困難だが、はらひろし。自身が最近になってyoutube上でリファインした「G17号」を公開しているのでテイストだけでも味わうことは可能である。

セメダイン・ボンドとG-17号♡5「サンダー・ウォール作戦」最終インターナショナル版(2017)

これを踏まえて第2章に展示のあるペーパーアニメ作品群、特に「じょうぶなタイヤ!」「へたな鉄砲も数うちゃあたる!」「Teatime」などを見ると実はグループえびせん作品の影響が色濃く出ていたことに気づかされる。
「Teatime」や「へたな鉄砲も数うちゃあたる!」のシチュエーションコメディ的展開にも影響が見られるし、「じょうぶなタイヤ!」での疾走するスズキフロンテを真横からとらえた構図、その地面に描き送られるスピード表現のタッチ線などまさにそのままと言っていい。

「グループえびせん大乱戦2017」にゲストとして招かれた際に庵野は「セメダインボンドを見てなかったらアニメやってなかった」とまで語っており、彼にとって同作の手法が如何に衝撃的だったかがわかる。

なんと、宇宙大戦争マーチは「しりとりアニメ」がファーストインパクトだったという。「じょうぶなタイヤ!」はしりとりアニメのDNAを真正面から受け継いでいたわけだ。

…と知ったように語っている自分も1~2回目の時点ではグループえびせんについての知識そのものが全くなく、後日フォロワー氏がスクリーン上のしりとりアニメについて言及しているのを目にして「そういえばなんだか様子の違うぼやぼやした映像あったな…」と慌てて調べ、ようやく上っ面の知識だけ追いついたようなものである。前述した東京国際映画祭のトークショーも会場で聞いていた(メモまで取っていた!)にも関わらず、知識不足から記憶として固定されていなかった。いやお恥ずかしい。

さて、スクリーンを彩る作品は庵野と同年代、またはその周辺世代なら誰もが通ってきたであろう映画と「テレビまんが」である。
前の巡回展である大分展から用意され、大阪展でも聴くことができるボイスガイド内で神村靖宏氏が語っているように、当時の子供たちはテレビで放送される特撮番組やアニメーションを「テレビまんが」として同列に消費していた。もちろんそこに映し出されるものに実写と絵の別は認識していたが、それらの間に精神的な垣根、優劣めいた概念は全くなかったといっていい。
自分の肌感覚的にアニメが自己をテレビまんがから一段押し上げようとするムーブメントは、やはり「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙」当時の「アニメ新世紀宣言」に端を発するように思う。東映まんがまつりが東映アニメフェア・東映スーパーヒーローフェアに改題・分裂したのは1990年(スーパーヒーロー~は1993~95年)で、それまでほぼ毎年アニメと戦隊またはメタルヒーローの映画が同時上映されていたことから制作サイドも比較的遅くまで訴求対象を一にしていたとわかる。

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満面の笑みでライダー1号のスーツに身を包む若き庵野の等身大立て看板。大分展以後、脚の間はくり抜かれている@東京展

我々と庵野は「テレビっ子」という意味で同じような子供時代を送っていた。その庵野が単なるマニア・おたくに留まらず受け手から作り手へと変じていくミッシングリンクの一つとしてグループえびせん作品が如何に大きな存在であったのか――その疑問にスクリーン左下の片隅でリピートされる3つの映像が「ここだよ」と目配せしているようにも感じられるのだった。<Part2に続く>

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