(ネタバレ少なめ)IMAXが終わっちゃう!シンエヴァの映像と音響が追い求めたアニメーションの快感原則

※本エントリには「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」に関するネタバレがわずかに含まれますが、基本的には鑑賞前でも読めるように書いて…る…はず…です…。

前エントリ『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||が捧げる祈り【全文ネタバレ】』がおかげさまで「文面が固いくせに感情的なので肩がこる」と大好評なので今回はあんまりしゃっちょこばらず書けるといいなあと思います。
昔からついつい真面目に向き合うと誤読されまいとまわりくどい文体になっちゃうクセがあるんだよねー。
でも自分なりに真面目に書いた甲斐があったのか新劇場版カテゴリの中では最多PVになりました。どうもありがとうございます。

そんなこんなで行ってきました監督舞台挨拶ライブビューイング。庵野秀明強火担を自称する空条さんが行かないわけないじゃないですか。このご時世にバルト9まで遠征しようと勢い余らなかっただけ褒めてもらいたい。
3/28のキャスト舞台挨拶LVも声優陣それぞれの作品への思いや役者としての矜恃みたいなものが聞けて興味深かったんだけど、やっぱ監督陣が登壇すると「カネなら言い値で払うからあと4~5時間聞かせてくれ!!!」って叫びたくなっちゃうよね。

この日でシンエヴァ鑑賞は8回目(うちIMAX3回)と劇場に足を運ぶ回数では破に並んだわけですがシンゴジは発声上映・立川爆音・日本語字幕つき4DX含めて20回(うちIMAXたぶん15回)見てるんでポテンシャル的にはまだまだですね。
でまあ6回目あたりからようやく単体映画としてのクオリティだとか幾分フラットな視点で見られるようになってきたんでそろそろもう一回全体を俯瞰しての感想とか書きたいなー、っていうぼんやりした思いが今日の舞台挨拶LVでやっぱり書いとかなきゃダメじゃん!と使命感にすり替わったので書きます。

で、今回まず前段として押さえておいていただきたいのがこちら「【緊急解説】 ここが進化した! 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.333』IMAX®上映(1/8より) 」であります。

この「Q:3.333」も勿論見に行ったんだけど、その時は正直なところ冒頭のUS作戦の解像度や階調が豊かになって見やすくなったね、さすがIMAXは画面が明るくていいよね程度にしか恩恵らしい恩恵は感じませんでした。
それだけでも充分だと言えなくはないんだけど、シンエヴァ見たあとにこの解説を再読するとわかることが沢山あるんですね。
特に「レンズを通した見た目を意識し、被写界深度を探ったり色の再調整を行」ったくだり。

第3村を中心としたAパートの描写の繊細さ・素晴らしさはシンエヴァ鑑賞済みの人なら誰も否定しないでしょうが、ではその高評価は何がもたらしたのかを考えるにつけ――でほぎゃらりーが手がける背景美術の美しさは当然の大前提として――先述の「レンズを通した見た目」と「被写界深度」、要するに光と影、庵野が映画を指して「シャシン」と呼称する根源にある光学現象の本質と真面目に向き合ったのが大きな要因ではないかと考えるわけであります。

被写界深度(以下DOF:Depth of field)とはざっくり言うと「ボケ具合」ですね。ざっくりすぎて写真趣味の人に叱られそうだけどここではそう定義します。

デジタル撮影が当たり前となった現在のアニメはコンポジット技術の進化も目まぐるしく、最近の有名どころでは京アニ作品、特に「響け!ユーフォニアム」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」あたりで頻繁に見られた絞り開放(極端に狭いDOFで被写体以外の世界を思いきりボカす)による色収差・フレア&ゴースト・周辺減光・周辺の流れといった古いレンズ特有の光学現象を取り込むことでノスタルジックな印象を与える画面作りなんかが挙げられますね。

さざなみ壊変|ダメ金ならぬダメレンズの収差で映し出す「響け!ユーフォニアム」と京アニの空間描写が尋常じゃない

Qが公開された2012年当時のテレビアニメはいよいよ撮処理がリッチになりはじめる時期にあたりますが、まだまだ「作画だけじゃ間が持たない部分をとにかくブラシ処理とフィルタで補っとこう、主線にはとりあえずガウス乗算しとこう」という、言っちゃえば雑な用途が多かったように感じます。実際このころのアニメって撮処理はやたら豪華だけど作画やL/Oはだいぶアレだぞ?と感じるものも散見されたでしょ…。

シンエヴァではこのDOF表現がとにかく全編にわたって、恐ろしいぐらい徹底して追求されてることに何人ぐらいの人が気づいたでしょうか。
「ん?要は被写体以外をボカせば画面がかっこよくなるってことでしょ?」と写真やらない人なら思っちゃうかもしれません。ファンアートでも最近はよく見ますよね、顔以外のパーツにガウスぼかしフィルタかけて浅いDOFを表現するやつ。
シンエヴァで行われてるDOF表現はそれどころの話じゃない。見る人が見ればボケ足とカメラの画角からそのシーンのf値がだいたい逆算できてしまうぐらいリアルに突き詰められてるんです。

…えーと、ここらへんからf値とか写真やってない人にはわかりづらい用語がいくつか出てきますが、いちいち説明してるとまた肩が凝るって言われるからわかんない人は逐次ググってください。

上記の解説を踏まえてQ(3.33)を見返すとわかるんですが、Qまでで行われているDOF表現はその大部分がいわゆる実相寺的レイアウト、手前ナメのオブジェクトぐらいにしかボケ処理は入ってません。「近いからボケる」「遠いからボケる」程度の判断でわりかし機械的にやってます。もちろんシーンごとのカメラの画角なんかはレイアウトに直結する要素だからシビアにやってますが(というかCGでインテリアをレンダリングするにあたってカメラの焦点距離を実数で入力するんだから避けようがない)、ボケ足はといえば大体同じで、f5.6とf2.8の違いめいた表現は全く見られない。
ではなぜシンエヴァになってそこの表現を掘り下げようと考え至ったのか。答えはもちろん「シン・ゴジラ」という実写の現場を経験したからです。

シン・ゴジラでシネスコサイズを選択したのはQでの手応えを感じていたからでしょうが、同時に「今のアニメの画面情報量でIMAXにシネスコサイズをかけても間が持たない」とも感じたんだと思います。

「細かすぎて伝わらないシン・ゴジラの好きなところが細かすぎるのでできるだけ細かく伝える試み」エントリでもチラリと書いた話ですが、モブなどの「あるに越したことはないけど主張してほしくはないもの」をアニメで表現するのはとてつもなく面倒です。難しくはない、ただひたすら費用対効果が薄い、アニメでは多くの場合そこまで手を回していられないので最初からオミットされる情報。その存在によって如何に映像というものが助けられ深みを与えられているか、監督はシンゴジの現場(とIMAXスクリーン)を通して改めて対峙してしまったんじゃないかと自分は思うわけです。
対峙してしまった以上は取り組むしかない。そして今のデジタル制作環境なら実現できる。できるならやるしかない。NHK「プロフェッショナルSp」や舞台挨拶で絵コンテありきではなくプリヴィズから画面を組み立てていった理由として「自分の頭の中にある画だけで作るとつまらない。発想の外にあるものがほしい」と何度も繰り返していた一因がここにある(いずれにせよ現実に存在するモノをカメラで切り取った時に起きる偶然が映像を豊かにするって意味では一緒なんだけど)と考えるとスッと一本筋が通る気がするんだけどどうでしょ。

さて、ではそのDOF表現が顕著にわかる(と思う)シーンの実例をいくつか。

まずはAパート、アヤナミが初めて田植え仕事に参加するシーン。
麦わら帽子にほっかむり、プラグスーツの上に軍手と長靴を着けたアヤナミの姿を見るおばちゃんたちにピンがきていて、アヤナミの後ろ姿は終始ボケてます。
ここはパースの具合を考えると中望遠で狙っていて、f値はおそらく4.5~7.1。ドピーカンの日中、逆光であることを考えると開放絞りを確保するためNDフィルタで3~4段ほど減光かけてるかもしれない。
カットが変わっておばちゃんとアヤナミを中心に棚田の全景を広角で俯瞰。こちらはわずかに回折が出ているのでたぶん減光せずf22とかそんな感じ。
撮処理いろいろ見てきたけど小絞りボケをわざわざ表現してるアニメなんてちょっと他に思い浮かばない…。
このへんは主線にも明るめの色が使われ、全体的にハイキー調になってます。
その後の田植えシーン、屈んで苗を植えるアヤナミを正面から捉えたカットでは顔~胸にピンが来て脚はボケてますね。

次にシーンは前後して、田植えに行く朝の鈴原家の台所。
ここは電灯のない屋内なので充分な光量を得られず、流し台ほどの大きさの物を撮っても前ボケしてしまう。f3.5~5.6らへん?

三つめ、ケンケンハウス内の夜。声を殺して泣くシンジの下半身がわずかに前ボケしてます。
就寝中ということで室内は暗く、必然的に絞りは開放され顔にピン持ってくるのが精一杯。直前のカットではテーブルの奥に寝転がったシンジにピントを合わせるため手前の床が盛大に前ボケしていて、この2カットとも同じレンズで狙っているのがわかります。f値は2.8~3.5?

ところが逆にこのカットへつながるアスカが寝返りを打ちながら「もういい加減寝る真似も飽きた」と呟くカットでは一切ボケてません。画面としてはシンジが寝そべる床よりずっと暗くなっていて、標準レンズで寄れるギリギリといった感じの画角であるにもかかわらずスネさえボケてない。
ここは全身のアクションを(せっかくのえっちなカットだしな!)頭から足先までくまなく見てほしいから敢えてDOF表現を入れてないってのがよくわかります。レンズを通した見た目を追求するのはあくまで見てもらいたい表現を伝えるための手段であって目的ではないんだよ!

「レンズを通した見た目」とはボケ具合だけに限った話じゃなく、刻々と変わる日差しの表現も全カットで緻密にチューニングされてます。旧ネルフ施設跡地の床下で雨宿りするペンペンの子孫たちを包む空気感(ここも勿論暗部での絞り開放表現あり)、農作業を終えたアヤナミが子供達と家路につく夕陽の点描、アヤナミがシンジに別れを告げるシーンで湖面に照り映えた朝陽のハレーション…いずれも抑制の効いたやりすぎない光線表現によって素材となる背景美術の味を最大限に引き出す素晴らしい仕事です。

ヴンダーの薄暗く狭い空間での会話劇が連続するBパートでもこうしたDOF表現はより顕著になります。
シンジを拘束後、医務室へつながる廊下でアスカがサクラに申し送りするシーンでは広角気味のレンズを使っているにもかかわらずほんの1メートルほど奥に立ってるサクラがもう僅かにボケてます。その後、トウジたちの映る写真を見て泣きじゃくるサクラを置いて立ち去るアスカの後ろ姿が遠ざかるにつれカット尻までボケ足が変化していきます。
極めつけが種子保管区画からブリッジへミサトとリツコを乗せて向かうゴンドラを追うカメラの数秒のカットに入った高感度ノイズ表現!ここまでくるともう笑うしかない!
(※4/15追記:高感度ノイズ表現はAパートで鈴原家からシンジを引き取り自宅へ向かうケンケンのシーンでも見られます)

他にもミサトの顔のアップの際には横顔なら手前の襟が、正面顔なら帽子のつばがボケているケースが何度か見受けられたり、ブリッジクルー全員をパンフォーカスで捉えたカットがほとんどないなど狭い暗所でのカメラワーク表現がDパートまで徹底されてます。
逆にゴルゴダオブジェクトに到達した初号機と13号機が東宝スタジオのミニチュアの中で取っ組み合いするシーンが異様にチープに浮いて見えるのは、DOFはもちろん光線の処理も全く入っていない(ミニチュアの弱点を見せつけるようにわざとエヴァ=スーツアクターの目の高さや俯瞰にカメラを位置取る構図も相まって)から逆に悪目立ちさせるのに成功してるわけです。

注意してほしいのが、これらのDOF表現などコンポジット処理すべてが先に言ったような「画面をリッチにするため」ではなく、むしろ「情報量の適度な間引きによる見やすさの向上」を目的として付与されている点です。
Q:3.333でこれらの処理を実験的に施してみた結果「情報量が減って見えたりした」のはなにもQの画面情報量が今の劇場アニメのクオリティとして見劣りするって意味ではなく、最初からこの方向でのコンポジットを行わないプランで制作していたからにすぎないでしょう。

観客の注意がキャラに寄ってほしいときに背景要素を物理的に省くのは通常のアニメでは常套手段。BGが空のみとか白トビしてるみたいなレイアウトはむしろ「エヴァっぽさのある画面」として認識されてるとこもあります。ただシンエヴァではその手法を選ばなかった。どのカットも実写なみに背景情報を配置し、その上でDOFなどのカメラワークによって情報をコントロールする方法論を採ったわけです。

そこまでして何を表現したいのか。
それはもちろん「世界の実在感」その一言です。
序・破で丁寧に構築した世界をQで一度ご破算にし、敢えて書き割りの世界に逆戻りさせた点については「Q【バレ放題】」エントリでも書いたとおり。
だからこそシンエヴァでは序・破以上に実在感を伴った世界を描出する必要に駆られたんです。特にAパート。155分におよぶ映画体験の印象を決定づけるAパートに観客がリアリティを覚えるかどうかに本作の成否がかかっていると言って過言じゃないでしょう。
書き割りではない実在する場所で、ただの絵ではないキャラクターが息づいているんだという思いがそこには込められているはず。
劇中のセリフを借りるなら人間は「虚構と現実を等しく信じる生き物」だから。

Qで見られる白トビレイアウトの一例。

そういえばシンエヴァでは従来のエヴァのトレードマークと言ってもいい市川崑的スタイリッシュなカッティングもなりを潜めてました。でもだからといって仕上がったフィルムから庵野らしさが抜けたかと訊かれたらそんなことは全然ない。岡本喜八に多大な影響を受けたセリフのテンポは依然としてキレッキレだし、1カットたりとも手クセで作られてる感を覚えることのない凄まじいレイアウトの連続で見る者をトランス状態に陥らせる手腕は健在どころかなお進化してます。

「先達の模倣で世界を作ってきた庵野が模倣される側に回ったとき、彼にオリジナリティなんて何もないことがわかった」的な評を読みました。実際の文章はもっと悪意が込められてたけど、大意では間違いとも言いきれない見方だと思います。自分にしかないオリジナリティに全幅の信頼を預けられる人なら膨大な量のプリヴィズから最適なレイアウトを導き出すなんて無駄な回り道と斬って捨てますよ。
「エヴァっぽい」がミーム化した今、エヴァ自身が「エヴァっぽい」ことをやるのがもはやセルフパロディになってしまう。だからこそ一切の手クセから一旦手を離し、エヴァという物語で何を見せ何を語りたいのかの本質と真摯に向き合ったとき「自分の発想の外」を欲するのは自然な衝動と言えるかもしれない。
そこに迷いや葛藤は全くないでしょう。だって最後に構築するのは他ならぬ監督の「意志」だから。
監督と作画スタッフ・美術スタッフがお互いの力量を信じて――或いは観客の「観る力」までをも信じていなければ到底踏み切れないディレクション…監督の言うとおり「自主製作だからできることで本当に大変だからやらない方がいい」手法なんですよ。
そうした作り込みの極致で織り上げた画面をこれでもかと見せつけた上でたたみ掛けられる後半のBANKがだからこそ効いてくるわけよ!!いやだって最強にかっちょよかったもん何度だって使いたくなるよQの長良っちの「ゴー・スターン」!!

…とここまで映像のことばかり論ってきたわけですがシンエヴァで特筆すべき点がもうひとつ、それはとんでもなく細やかなSEです。
もともと新劇場版は5.1chでチューンされた環境音で高評価を受けてはいたんですが、シンエヴァではさらにキャラのほんの些細な仕草にも衣擦れやプラグスーツのラバー感を演出するSEがマシマシになってることに気づいた人は多いと思います。キャラのすぐそばにマイクがあるかのように思わせるこのSEの物量もキャラの実在感を補強する一助となってるのは間違いありません。

またシンエヴァの劇伴は全編とおしてキャラの心情につけられた楽曲の割合が大きくなっている点も見逃せません。
たとえば「born evil」の原曲にあたる「BORDERLINE CASE」はシンジ達の心情描写に不可欠な曲ではありましたが、使われすぎたがゆえ逆に「心情描写のシーンはこれ」といささか記号めいた印象になってしまっていました。
しかし今回シンエヴァで満を持して流れる「born evil」は観客に「いよいよ補完の核心がくるな…」と予感させる記号としても、ゲンドウが初めて語る己の内面を象徴する曲としても最高の働きをしています。
新曲の合間を彩る耳慣れた曲のリプライズも見事で、シリーズの総決算となる場面それぞれに過去の積み重ねが残像となってダブる、なんともニクい演出です。

それにつけても鷺巣詩郎さえ驚嘆する監督の楽曲の理解度の高さですよ。これホントにコンテ上がるずっと前に曲先行で完パケてたの!?と疑わざるを得ないスポッティングの完成度。アバンではギターのアルペジオがちょうどよく44Aの一列縦隊突進カットに来るし、おなじみEM10(今回のアレンジ最高すぎる…)に乗せて大気圏に再突入したヴンダーがL結界境界面と接触する瞬間にちょうどアタックが入ったり、「激突!轟天対大魔艦」が鳴り響く中、冬月駆るエアレーズングの追撃を回避すべくヴンダーが境界面下へ急速潜航したタイミングでハープのグリッサンドが入ったり、曲の見せ場をコンテの見せ場とシンクロさせる手腕には毎度のことながら唸らされます。

舞台挨拶で監督はシンエヴァ、ひいてはこれまでのエヴァ全作品を構成している4つの要素として「ストーリー上必要なもの」「画として美しいもの」「自分の思い出とか心の中に残っているもの」「スタッフが好きなもの」を挙げていました。
この3つめにある「自分の思い出とか心の中に残っているもの」とはどういうことか。今まで見てきた好きな特撮やアニメに出てきたシーンやメカニック?気持ちよく感じた編集のタイミング?
それっぽっちのことならぶっちゃけ誰にだってできます。タイミングだって絵コンテとタイムシートという数字で残ってるんだからそれを研究するなりまんま持ってくるなりしちゃえばいいんです。

庵野作品を庵野作品たらしめているのは「自分の思い出とか心の中に残っているもの」がなぜ思い出として強く自分の中にあるのか、その本質・根源をつかみ取り、咀嚼し、再構成する力です。
大張正巳が好きだからって大張正巳みたいなポーズを取らせただけでは自己満足の域を出ない。エヴァと同じような構図を使ったり、エヴァと同じようなセリフのこぼし方をしてみたところで出来上がるのは「エヴァっぽい何か」でしかない。突き詰めるべきは大張ポーズのかっこよさを構成する要素であり、エヴァの構図に覚えた感情の出どころのはずです。
盤石な快感原則にのっとって選びあげた構図とタイミングで構成すれば、個々のシーンの発想が誰のものであろうと完成したフィルムは紛れもなく庵野秀明の作品として顕現する。それが庵野秀明の言うところの「ただのコピーに意思を込める」作業なのです。

ここに述べたような快感原則を徹底的に追求した映像と音響を全身で浴びられるIMAX上映が惜しくも今週15日で最終日を迎えます。このエントリを読んで「じゃあもっかいIMAX行っとくか…」となってくれるといいなあと。自分も15日に4回目のIMAX行ってきますよ。目指せ興収100億!

最後に舞台挨拶LVの感想ツイートを貼っておしまい。

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