すこしふしぎのインターステラー

事後も事後のお話ですが3/28幕張メッセのコミケSPにサークル参加してきました。
せっかくだからなにか新刊を用意したいとギリギリまで頭をひねるもオリジナルネタはさっぱり浮かばず、さてどうしたものかとぼんやり風呂で〆切までの猶予時間を逆算していた時のこと。

「俺が今いちばん描きたいのってこれじゃないか…?
っていうかこれ出力しないでいるからいつまで経っても頭が創作に切り替わらんのじゃないか?」

で、こんな本作っちゃいました。

『インターステラー』は初日にIMAXで観てスクリーンから溢れんばかりのスコシフシギズムに圧倒され、興奮冷めやらぬうちに(でも即日だとネタバレがひどすぎるので一週間ガマンして)Twitterでこんなのこんなのを投稿してたんですが、どうやらこの2枚だけじゃ満足できなかった…いやむしろこの2枚を描いてしまったばかりに火がついたようで。ちょうどそろそろSFもの描きたいなあって気持ちがあったのも一因かな。

…とまあそんな感じでコミケSP終了後とらのあなに卸していたところ今日「担当者イチオシのページを作ってましたよ」とTwitter経由でタレコミをもらいまして。

これがまたちょっとビックリするぐらい丁寧にレビューされてるんで是非ともみんなに見てもらいたいと思い久々にイベントルポ以外でblog記事をしたためている次第にございまする。

藤子・F・不二雄先生の凄い所はSFとしてのテイストはしっかりと残しつつも、 セリフや言い回しが子供にもわかりやすい説明と説得力を持っている事だろう。

つまり映画で伝わりにくい描写であっても藤子漫画を通してみると
不思議と理解できてしまうのである。

そうそれ!!
Fさん作品はチビッコがSFに目覚めるための最高の教材なんですよ!!
こいつよくわかってる!!

映画には映画の良さがあり、漫画には漫画の良さがある。
それを踏まえた上で、この作品を読んだ後にもう一度映画を観て欲しい。

そうそれ!!
BD見終わった余韻に浸りながらページをめくってほしい!!
この人よく理解してる!!

『インターステラー』の脚本を作ったノーラン兄弟。 藤子・F・不二雄先生。

この作品はSFという絆によって結ばれた意思がある。
そしてSFに敬意を払い、意思をとても尊重している。

もちろんネタだと言われれば否定はできない。
しかしそれはSF作品を好きだからこそのご愛嬌。

藤子・F・不二雄先生がご存命で、もしも『インターステラー』をコミカライズしたら。
そんな空想にふけりつつ、スコシフシギな体験をしてみても良いのではないか。

そうそれ!!!!!
Fさんご存命なら諸手を挙げてこの映画絶賛してたはずだよな!な!!って気持ちで描いてたの!!!!
この方わかってらっしゃる!!!!!!!!!

と手前味噌はこのぐらいにして。

この映画からは『マトリックス』以来久しぶりに今後のSFファンの共通言語になりうるパワーをひしひしと感じました。
『パシフィック・リム』も大好きだけどアレは怪獣アトラクションだしね。
『グラビティ』も大好きだけどアレは宇宙スリラーアトラクションだしね。

すぐ「これの○○って『△△(先行する作品)』のアレだよな!」としたり顔で言ってしまうのはSFおじさんの悪いクセ。
そこには大抵「俺もう知ってたからそんな驚かなかったし!泣いてないし!20年ぐらい前に見たし!」という誰に向けてるのかよくわからない強がりが潜んでます。
そうしたオマージュを照れずにさらけ出しなおかつ新たなセンスオブワンダーを加えて提示して見せた本作。
『バットマン』3部作にしろ『インセプション』にしろ、ノーラン作品には「ヒトがヒトのままヒトの領域を外れていく様子」が描かれている共通点があります。
特に『バットマン』原作では不死身のバケモノであるラーズ・アル・グールの「肉体」ではなくその「思想」に不死性を見出す解釈に唸らされました。
最大のオマージュ先である『2001年』でヒトの進化した姿としてスターチャイルドが描かれているのに対し『インターステラー』では「ヒトはヒトのまま上位の次元を支配する存在に進化してゆくだろう」というテーマが見て取れます。
そんなノーラン作品が大好き。
とうとう人情ものを撮れるようになった彼の次回作が空恐ろしくまた楽しみでもあります。

ぶっちゃけコミケSP会場でも委託でも出足は不調と言わざるを得ないんだけどこの記事を読めただけで出した甲斐あったなってぐらい満たされてしまいまった。
記事を読んで興味が出てきた人にも手に取ってもらえるとうれしいです。
委託部数が少ないせいで店頭販売はなく通販のみなので悪しからず!

とらのあな『すこしふしぎのインターステラー』購入ページ

まあこれで次の新刊こそコミティアで並べられるなんて保証どこにもないけどな!

先頭に戻る