序【ネタバレ盛大に含む】

ってなわけで観てきましたヽ(`Д´)ノ

HD時代に対応すべくレイアウト流用はあってもオール新規作画という触れ込みどおり、ってか想像以上に情報密度は上昇してましたな。

以下ネタバレまみれ。思いついたことを随時追記します。mixiのコピペでごめんね。


冒頭、郊外に行くにつれて緑地と融和していく『新』第3新東京市の景観でいきなり「おおっ!」と掴まれました。

シンジとミサトの声は10年を経てなお色褪せておらず一安心。リッちゃんも当時よりブレスの置き方や破裂音の発音など上手くなってるのがよくわかります。逆にマヤがあなた誰状態で吹いた。よく知らないけどプチえう゛ぁとかあの辺ではアイドルやってるそうなんでそっちに引きずられてんだろうか。

第壱話パートがそれこそセリフを諳んじられるほど丸ママだもんで最初は面食らったけど四~六話はかなりいじってあって、しかもその改変がすべてオリジナルで感じていたもやもやを拭い去ってくれるもので個人的にかなり好印象であります。
その他にもオリジナルに散見された「まだ設定が固まってないけどとりあえずハッタリかまして誤魔化すために体言止めではぐらかしとこう」的な稚拙な言い回しがきっちり直してあって、「その場しのぎのやっつけ仕事は盛り上がりこそすれ自分のためにならないからやめた方がいいよ」というこの10年間みんなうすうす気づいてたけど最大の成功例を見てそれに倣ってしまったがために否定できないでいるスキームをオリジン自らが全否定してる感じがして小気味よかったです。

あのね、ぶっちゃけオリジナルのヤシマ作戦編って嫌いだったんですよ。

シンジは結局なあなあで乗っちゃうみたいなところがあったし、
ミサトは四話であれだけ揉めたくせに相変わらず他人事だし、
綾波のセリフも「(任務だから)私が守るもの」だし、
ラストの笑顔も意識朦朧としててゲンドウとごっちゃになってただけだしで
シンちゃんただただ空回りで可哀想、ってお話だったでしょ。あれがどうにも気持ち悪くて嫌いだった。

でも今回の大幅なシナリオ再構成によってその気持ち悪さが打ち消され、その結果登場人物が全員少し成長してるんですよ

キャラクターの成長!これはオリジナルのエヴァでは全くなかった要素ですよ!?まあミサトの心境の変化がいささか唐突に思える部分もなきにしもあらずだし、なによりこれらもゲンドウのシナリオの一部である可能性は「あのセリフ」のおかげでついて回るんだけどもとりあえず今はそんなこたどうでもいいです。あの庵野秀明がキャラの成長を描けるようになったってだけでもうお腹いっぱい。
っつかこれを観たおかげでなんで自分があんなにヤシマ作戦編を漠然と、でも確実に嫌ってたのかの理由に気づけたんですけどね。
よくよく考えたらテーマソングのタイトルが「Beautiful World」って時点で察しておくべきだったね!

「結婚して丸くなった」とか色々言われてますがね、やっぱ我が子という存在が心理的に現実味を帯びてないと「親子」がテーマのお話なんて描けないんだと、そしてそのことに結婚前後両方での実例を提示して見せてもらわないと、そして何より観ている自分自身がシンジよりミサトを追い越してゲンドウの歳に近くなってきた今にならないとどうしても気づかないものなのかなあと痛感しましたよ。「自分の息子を信じてください」だよ!?こんなセリフあなた10年前の庵野を逆さに振っても皮肉混じりでしか転がり落ちないし、10年前の空条さんじゃそんなの望むべくもないと反発してるだけに違いないですって。ゲンドウ見てて「この親にしてこの子あり」ってのが今になってわかりますよ。こいつ間違いなくシンジの父親だよ!

ただ同時に独身時代のような「歪で気持ち悪いけど人の心を惹きつけるもの」はきっともう作れないんだろうなあとも改めて思いました。ラストのカヲルがロングでは影指定の関係で隻腕に見えたんですが、こういう見間違いも「父親が不具者である影響から『欠損した人体』というものに憧憬のようなものを覚える」と自白していた10年前の庵野の影を受け手=自分が勝手に引きずってるから起きただけなんでしょうな。

あと自分自身についての感想として意外と冷静に観てられたのが面白かったですよ。まあ旧劇場版に関して自分は全肯定派だったからなあ。
エヴァという作品が持っていたそもそものモチベーションは簡単に言えば「オタクに対する反旗を翻す」だったんですけども、基本的にこの10年間でのエヴァの再生産物はどれも「ええーいいよもう監督は黙っててよオレ達はオレ達の気持ちいいエヴァをずっと夢想していたいんだよー」という、監督へのオタクの反旗なんですな。だからこそ10年間もずっとカサブタはがしみたいなことをやってこられたわけで、そしてだからこそそういう流れにどうにも与することができなかった自分はこの新劇場版をごく自然に受け入れられたんだと思うです。

この新劇場版という作業が果たして思考実験なのか純粋な創作意欲なのか、どのような本意のもと作られているのかはわかりませんがこれだけは言えるかも知れない。
それは
オリジナル以後ずっと公式/非公式両面から『補完』され続けてきた
「歪な、でも目を背けきれないエヴァンゲリオンというターム

「きれいなエンタテイメントとして消費され終わりを迎えるヱヴァンゲリヲンという商品
に再構築する作業なのだろうと。そういう意味でこの3+1部作は「最後にして最高のキャラクターグッズ」となるであろうと思うし、そうなって欲しい。

所信表明にある「もう古い作品だと思っているのに未だにこれより新しいアニメがない」あたりが如実に物語っていますな。

賛否両論の宇多田ヒカルのED曲もエヴァという作品のテーマと真摯に向き合い咀嚼してる歌詞がよかった。むしろ真摯すぎてちょっと引いたかも知れない。
確かに『残酷な天使のテーゼ』とともに流れるOPのインパクトたるや凄まじかったんだけどぶっちゃけ今さら高橋洋子でもねえだろうと思うし、何より作品テーマなんかまるで無関係ただCD売れればいいですよ的な日テレ系アニメOP/EDみたいなことになるよりか全然いいじゃないですか。「思い入れ」とかそういう言葉を盾にこの辺を腐してる人って結局「何が歌われているか」なんかはどうでもよくて、ただ「誰が歌うか」という形骸に固執してるだけなんだろうなと。

…とまあそんなわけでヤシマ作戦編のためだけにでも観に行く価値は充分あると思うです。上記のようなシナリオの再構成はもちろんのこと作戦遂行中のテンションの高め方が素晴らしい。

ただし――誤解を恐れずに言いますがこれは『リアルタイムで毎週追いかけてた人のための映画』です。それ以外の人にこの映画の作りを批判する権利はないと思うし、もっと言うなら『知らないけど話のタネに見てみた』とかいう人とは一切なにも語る気がしないっていうかオレの前では黙ってろ
映画館へ行く前にレンタルで予習したよという人もいるでしょうが所詮はビデオのイッキ観。知識の補填はできても、毎週水曜6時30分にテレビの前に正座して瞬きすらも惜しいとブラウン管を凝視、予告で次回の展開に胸を躍らせ一週間なにしてても頭ン中エヴァのことしかないみたいなあの中毒症状は絶対に追体験できねえですから。
もうその辺は後れて生まれたものの宿命と思って諦めてください。
って言ったって今のようつべやニコニコでぬるめられた子にはピンと来ないんだろうけど。挑発しすぎ?

さて、サキエルが第四使徒ってことはどうなるんだ?白き月のアダムと黒き月のリリスとは別にもう一体の使徒が既に確認されてるってことだよね…冒頭でシンジ到着時すでに人型の現場検証あとらしきものがあったし、町のあちこちに電車や船が突き刺さってたし、なにより「15年ぶりだな」のセリフがない。ミサトがひそかに一尉から二佐まで2階級も昇進させてあるのはきっと大した意味ないんだろうけど。
…それとシンジが「また3番目」ってのは何だ。まさかストーンオーシャンよろしく一巡した地球のお話とか言いだすんじゃなかろうな(;´Д`)
あ…よく考えたら冒頭の赤い海と白い砂浜って…マジで?


レイアウト流用について惜しむらくは笑顔の綾波のカットを『Death』編の摩砂雪作画でやって欲しかったかなあ…と。まあそれやっちゃうと前後のつながりがおかしくなるし新規作画(マッキー?お貞?)のシンジの泣き笑い演技がよかったからいいんですが、あの可愛らしさを上回る綾波は未だに出てきてないと思ってるもので。

あとカヲルがなんか別人っていうかもうカヲルじゃなくてただのタブリスだった。

予告で初めて劇場内がどよめいた。あれ誰ですか。

しかしこれだけ笑顔でエヴァについてあれこれ考えられる日が来るなんて10年前には想像もつかなかったですよ。憑き物が落ちたってのはこういうことか。

ともすれば新劇場版とはエヴァ直撃世代補完計画なのかもだ。

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