破BDでゲンドウを再考察する

待ちに待った破BD・DVDがついに発売されたわけですがなんだかんだと忙しくてまだ1回しか観れてません。これで劇場で観たのと合わせてつごう5回目なんだけど、なんかやっとこさほんとのほんとに冷静に観られるようになってきた気がするよ。

劇場公開版(以下2.00)からいろいろと細かなシーンの描写変更・追加が行われているBD・DVD版(以下2.22)ですが、個人的に最も注目すべきと思っている変更点はホントのところ相田くんなのかアイハラくんなのか…ではなく、第9使徒に侵蝕された3号機をダミーシステム起動状態の初号機が陵辱するシーンの途中、ゲンドウがモニタでその様子を見守るカット。

2.22ではサングラスも光を反射し口元も両手で隠されているため表情が読みとれなくなってますが、ここ2.00では口元が笑ってたんです。

『破』劇場での鑑賞時、空条さんが唯一違和感を覚えたのが他ならぬこの「笑み」でした。

このシーンに相当するテレビ版第拾八話『命の選択を』でのゲンドウは順調に使徒バルディエルとの闘いを遂行するダミー初号機の働きに満足するかのような笑みを浮かべており、これに倣って2.00でも笑みを浮かべる演技が施されたのでしょうが、拾八話のゲンドウと『破』のゲンドウの心境は明らかに違うわけで、ならばここで同様に笑顔でもって使徒撃退の様子を見届けるはずがない。

なぜってこの後『破』ゲンドウは、自らの手を汚すことを拒み使徒殲滅の任務を放棄、のみならずゲンドウをはじめとするネルフ本部の全員を恫喝したシンジに「望むものがあるなら万難を排して全力で掴み取れ」という意味の叱咤の言葉を浴びせるのです。
そこには明確な「ネルフ司令ではない、碇シンジの父・碇ゲンドウとして子に望む姿の提示」の意思が見て取れます。

対して拾九話『男の戰い』のゲンドウがここでシンジに放ったのは「お前には失望した」という三行半。失望とは概して部下や従業員など利害で構築された関係にある相手が自分の目論見通りの成果を上げなかった時に抱く感情であり、親が子に対して抱く感情とは考えにくい。

ではこれによって何が変わるのか。それは使徒への抵抗をせず、みすみす自身を危険にさらすシンジへ向けたゲンドウのセリフ「お前も死ぬぞ」が含む意味合いです。

拾八話のゲンドウはただ目の前の使徒を倒すことができればそれ以外はどうでもよく、仮にシンジが再起不能となったとしても「バックアップ」がある=シンジを唯一無二の存在と見ていないと言っていいでしょう。だからさっさと使えないシンジを切り捨て、自分に従順なダミーを起動させたのです。

『破』ゲンドウは―もちろん来るべき人類補完に必要不可欠な存在だからというのもあるだろうけれど―息子シンジをゲンドウなりに大切に思い、不器用ながら父子の和合を目指して接しようとしています。それは『序』ヤシマ作戦中にミサトが彼へ向けた「自分の子供を信じてください」という諫めの言葉に耳を傾け、綾波に誘われた食事会への参加を承諾したところからも明らか。
ならば「全力を尽くせばアスカの救出も不可能ではないはず、しかし息子はその前段階でつまずいている。息子を死なせるわけにはいかない。だがこのままでは息子は確実に使徒の手にかかってしまう」という「命の選択」の末にダミーを起動させたゲンドウがここで不敵な笑顔を作るはずがないんです。

それぐらいこのカットの持つ意味は大きい。だから2.22であの笑顔が修正されたことは非常に納得がいくものであり、これで自分としては『破』が完成されたと感じるのであります。

テレビ版で繰り返し描かれた「人と人との断絶=ヤマアラシ痛いから近寄らない!」に対し、やはり新劇場版では「人と人とのふれあい、和合=痛いけど面白いからいい!」がテーマなのだなと改めて確認するのでした。

それと以前のエントリで言及してた『翼をください』=『甘き死よ来たれ』の仮説についても2.22の特典映像で確証を得ました。その確証材料とはRebuild of Evangelion 2.02内で使われている本編未使用バージョンの『翼をください』ラスト近くに入ってくるハンドクラップ。
本編で使われていたバージョンでは全体のバンド構成とイントロのコード進行が構築する世界観の類似、あとラストのヒステリックなストリングスぐらいの状況証拠しかなかったんですが、このクラップはもはや物証を得たと言って差し支えないレベルでは。

セリフ回しや演出という左脳的な面だけでなく音楽を用いた右脳的な面からもこうした「テレビ版~EoEを経た世代にだけ冷や汗をかかせる」仕掛けを組み込んでくるのはなんとも上手いなあ。

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