Superman: Peace on Earth

戦時中にはキャプテンアメリカと並んでプロパガンダにも使われた彼だったが、異星人である彼を育んでくれた地球への愚直なまでにストレートな愛情表現が好きだった。劇場版エンディングで見せる地球への敬礼がその全てを物語っていた。

劇場版といえばテーマ曲の冒頭、あの一気に晴れ上がるようなファンファーレが好きだった。スーパーヒーローの主題曲のお手本と言ってもいいほどのマスターピースだと思う。

映画館まで足を運んで観たことがあるのは『Ⅲ・電子の要塞』だけなんだが、タール入りのクリプトナイトで骨抜きにされた自分自身と闘うシーンには子供心に感じるところが大きかった。そういえばあのシーンのラストでもテーマ曲のファンファーレが効果的に使われてたっけな。

中学のころだったかにたまたまテレビで観た『ある日どこかで』が忘れられない。
ネタとしてはよく転がってそうなタイムスリップラブストーリーなんだがスーパーマンとしての彼しか印象がなかったオレにとってはそれだけで充分に衝撃的だったし、タイムスリップものという前提を忘れさせてしまいそうなほどのストーリーの切なさは未だに心に焼きついている。

今日の日記のタイトルはアレックス・ロスがバットマン/スーパーマン生誕60周年記念に描いた作品のスーパーマンサイドの表題。
オレがアレックス・ロスにハマったのはその画力の凄まじさももちろんのことながら彼の描くスーパーマンがそのままオレの脳内にある『劇場版のころからそのままスライドした、不死身とはいえちょっと老けたクラーク・ケント』像と寸分違わぬものだったからである。やっぱりオレの中でのスーパーマンの姿は耳まで裂けてそうな口でニカッと笑うコミック版より劇場版の太い首の上に乗っかった甘いマスクの方なんだな。

だから落馬事故で半身不随になったとの報道を聞いた時は随分とショックだった。ただこれはもしかすると日に日に酒太りしてブヨブヨに、酒ヤケして真っ黒になっていくウィリアム・シャトナーに対して抱く切なさと源を同じくするものなのかも知れねえのだが。

そんなわけで”Peace on Earth”を読み返す。
クリスマス、地球を守るため地球の悪と戦い続けるスーパーマンがふと世界に蔓延する『飢餓』に目を向け、世界中の余剰穀物をかき集め貧困に喘ぐ人々の元に配ってまわろうと考えつく。
たとえその先にあるものが絶望だったとしても、その絶望を目の当たりにするまでは彼は彼のベストを尽くす、スーパーマンのポリシーをとてもよく表した名作だと思う。

「全部の種が芽を出すわけじゃない…でも、どの種にもそのチャンスをあげよう」

クリストファー・リーブ氏のご冥福を祈ります。

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