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-フィギュアとか-

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WF☆20に行ってきた・その4『色は塗られてないんですか』

※手元のメモを見つつ思い出しながら書いているので、随時修正or追記が入ります。悪しからず。誤記に関してご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。

まだ業界全体が大らかだった時代に事実上の終焉をもたらしたのは、現役弁護士を招いてB-CLUB誌上に掲載された記事『版権とはなんぞや?』だった。
この記事掲載の時期を境にB-CLUB誌は未だ版権無法地帯の様相を残すWF、ひいてはそのWFの片棒を担ぐホビージャパンに対するバッシング同然のネガティブキャンペーンを展開する。それまでWFでのバンダイ絡み版権、主にガンダムものへの認可の仲介役にあたっていたB-CLUBが'91年に『ジャパンファンタスティックコンベンション F-CON』を旗揚げしたのも、企業利益の保護というよりむしろ直接的に「WF潰し」にかかるためだったのだろう。事実この動きによりJAF−CONと呼称を改めアマチュアディーラーの参加も可能になった'92年、初めて海洋堂主催で開催されたWFの動員数は前回比で約7割にまで減少しており、以後数年は「ガンダムのガレキを売れるJAF-CON、それ以外のWF」としてディーラー・一般参加者に認識されることとなる。
当時の模型誌を並列して読みかえすと「あ、今はココとココが仲悪くてココとココはちょっと仲直りしたな、って言うのが順番に移動していってた(浅井氏談)」のが見て取れるという。

さて。マックスファクトリー製品で浅井氏が衝撃を受けたとして真っ先に挙げたのが『OVA機甲界ガリアン・鉄の紋章』鉄巨神のソフビキットである。
ソフビキットと言えばワックス原型にメッキをかけて金型を製造する工程の都合上どうしてもモールドやディテールがヌルくなりがちで、レジンキャストに比べて造形的に弱いものであるという当時の認識を180°ひっくり返すクオリティで発表されたそれに浅井氏の目は釘付けになった。
またマックスファクトリーと共同でWAVE(当時のラーク)がL-MAX名義で発表した『完全変形バウンドドッグ』ではソフビキットを謳いながら一部に組み込まれたインジェクション製プラパーツに驚愕し、ガレージキットメーカーもいつの日にかプラモデルを発売できるようになるのではと大いに期待したと語る。
このバウンドドッグは会場内にも購入者がいたようで、「買いましたか!アレ組めたもんじゃないでしょ!」と褒めているのか貶しているのかよくわからない盛り上がり方をしていたのが印象深い。

ちなみに空条が当時のソフビキットと聞いて真っ先に思い出すのは『Superゼビウス・ガンプの謎』3機合体1/48ソルバルウである。たしか'87年ごろ、4800円ぐらいだったと記憶しているが、当時通い詰めていたナムコ直営店に置かれた『NG』誌上で発売予定を知り、『ソルバルウ・ソルグラード・ゼオダレイの3機が合体してガンプミッションに!』との記事にワクワクテカテカし、発売日のショウケースに並んだそれをプラモデル感覚で買ったはいいものの箱を開けるとといきなりアイボリーのソフビの塊がごろごろと現れ、組み立て説明書には「ココのバリをカッターで削ぎ落としてください」と書かれていて途方に暮れたものだ。ソフビといえば怪獣やヒーローもののオモチャとしての認識しかなかったオレに塗装はおろか完成させることさえできるはずもなく…いや一応は組んだのか…どっちみちもう捨てたよなあアレ…。

ところでこの『鉄巨神』に関するエピソードがまた面白い。
とにかくやるならとことん、既存のソフビの概念を吹き飛ばすぐらいのクオリティを出さんと息巻くマックスファクトリーは現在「ワックス(ロウ)原型の上にメッキをコートし、これを加熱することでワックスを溶かし出しセミの抜け殻のように残ったメッキで金型を作る」のではなく「レジン原型の内側を手作業でくりぬいてそのまま複製原型にする」 手法を採っている。原型がレジンそのままであれば当然メッキコートに比べてディテールの再現性は高くなるが、なにしろソフビという材質の都合上かなり薄く内側を削り込んでやらなければならず非常に手間がかかるわけだ。
ここで明らかになったことなのだが、実は『鉄巨神』は後者の方法ではなくまだワックス原型で作られたもので、現在の手法に移ったのは次の『人馬兵』からであったという。つまりあのクオリティは泣きが入るほど何度も何度も工場にダメ出しして得られたワックス原型の限界中の限界だったのである。そして原型をくりぬく手法自体も特にマックスファクトリーが編み出したわけではなく、死ぬほどダメ出しされた工場側が「そこまで言うなら『焼き出し』って方法もあるんだよね…手間がかかるから今はもうどこもやってないけど」とポツリと漏らした、言うなれば『枯れた技術』だったというのだ。また工場側がこれほど追いつめられるまでこの『焼き出し』を切り出さなかったのもワックス代でがっぽり取れる工賃がまるごと消えてしまうからで、要するにカネとナキを秤にかけてナキを取ったがゆえの結果だったのだ。口は出すわ金払いは悪いわ、ロクな客じゃなかったんだなあ…。

閑話休題。そうした『ソフビとしては勿論のことガレージキットとしても異例のクオリティで商業的価値は十二分に持っているとはいえ、じゃあこれは何かと問われればやっぱりガレージキットとしか呼べないかな』という不思議なスタンスにあるように見えたマックスファクトリー製品を当のMAX渡辺氏はどのような志のもと開発していたのかと訊くと、確かに「ガレージキットと言われるモノから脱却したかった」と氏は述懐する。
伊藤氏がガレージキットの定義として挙げる『ある造形物のレプリカ』に賛同するMAX氏の中では、その当時のWFの主役とも言えるキットたちは極端に言ってレジンの塊でしかなく、原型製作者として受け手にはより自分の思い描く理想形に近づけた完成形、それが無理ならせめて半完成状態で届けたいという思いがあったのだろう。そうした意志が働くのであれば確かにガレージキットという言葉自体が哀しいかな、どこかで足枷にもなるのかも知れない。
氏が今もなお『MAX塗り』や『コピックモデラー』開発などに代表される「可能な限り手間を減らして完成させる技法」の追求に余念がないのもうなずける話だ。PGガンダム作例記事の際に「サラリーマンでも作れる」と銘打ったのは、或いはMAX氏を残して模型の世界から遠ざかっていった『まだ見ぬ同世代の同志たち』への存在証明でもあったのだろうか。

このようなMAX氏の考えの前に浅井氏もいきおい饒舌になる。いやもう充分に饒舌なんだがそれはおいといて。

浅井氏自身も「自分にとっては原型のクオリティを3割落としてでも完成品として提供できる状態の方が思い描くゴールに近い」と語る。
『サムライスピリッツ』柳生十兵衛とタムタムを発表、ゲーム雑誌などへの露出も多かったことから女性が購入しに来た際、ごく普通に投げかけられた「あ、色は塗られてないんですか」との質問に、自分がこれまで当たり前として考えもせずにいた部分――いわば版権商品としての不完全さを指摘されたようにも思えたのか――に直面し「できることならこの人にも完成品で届けたいなと思った」のだそうだ。このへんの感覚はレイキャシールを見ていてもなんとなくわかるように「作った物に対する受け手のアンサー」までがあって初めてガレージキットが表現活動として完結するという浅井氏の基本理念とでもいうか、根底にある譲れない部分の直接的な発露なんだろう。勿論このへんのスレショルド(しきい値)はディーラーによって千差万別十人十色であって当然だし、むしろそうであるべきだとさえ個人的には思う。ただしそのスレショルドが試行錯誤の賜物でなく思考停止の結果であるならちょっと哀しい話だな、とも思う空条さんだった。

だからMAX氏も浅井氏も、高品質の完成品を安価で手に入れることのできる現在の状況が「とても幸せ」だと言う。ガレージキット発の完成品が量販店に並ぶ姿も珍しくなくなった今、その流れを楽しんで1人でも多くの人に模型に触れてもらわんと職人的な場所を目指すのも、一方それでも敢えて全てのクオリティを自分自身で管理できるイベント限定キットの市場にこだわり続けるのも、どちらも同じ求道心なわけだ。
続く第3部で浅井氏が漏らした「僕がやってることってよくガレージキットじゃないって言われることがあって、今まで自分ではそんなこと思ってなかったんですけど…今日喋っててわかりました、確かにガレージキットちゃいますわ」という言葉は、逆に彼自身の中に強くあるガレージキットへのこだわりを見せつけてくれたようでとても面白かった。
その姿勢、意地は伊藤氏からの「(クオリティを3割落とすとは)完成品だから手を抜くってこと?」との問いに淀みなく返されたこの回答が如実に語っている。

「違います違います。完成品っていうラインに乗せる以上どうしてもこっちの出したものからクオリティが落ちてしまうってことです。だから3割落ちるってわかってるんなら僕は130パーセントで作って出しますから

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WF☆20に行ってきた・その3『ゴロですから』

※手元のメモを見つつ思い出しながら書いているので、随時修正or追記が入ります。悪しからず。誤記に関してご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。

第1部から若干の休憩を挟み15時すぎにスタートした第2部。その冒頭を飾る『WF20周年おめでとうメッセージビデオ』には、映像製作者である寒河江氏がWF草創期からの顔馴染みや平成ガメラシリーズなど仕事を通して交流を持つ原口智生氏、奥田茂喜氏、竹谷隆之氏が出演、各々のWFへの思い出などメッセージを寄せていた。

暗転が解け、浅井氏と寒河江氏が再登場。このパートではゼネプロから海洋堂主催として引き継がれたWFとその対抗勢力として現れたF-CON(後のJAF-CON)とのしのぎの削りあいの構図、美少女フィギュア時代の到来による来場者・ディーラーの嗜好(志向)の多様化から『リセット』までの流れを追う。

このあたりの時代を語るにあたり、浅井氏の世代(1970年代初頭生まれ)的に外せないトピックとしてコミックボンボンなどが呈示した『スターモデラーをプロデュースし模型シーンを牽引していく』図式がある。この『スターモデラー』とはもちろん、第1部でも名前の挙がった小田雅弘氏・速水仁司氏など作例モデラー兼ライターとしてHJ・ボンボンほか誌上で活躍し、ちびっ子モデラーのカリスマ的役割を担った人物のことである。
しかしこの当時に名を馳せたこれら『スターモデラー』の大部分は数年ほどで誌面から姿を消す。これは私見だが、恐らくはそれと並行してちびっ子モデラー人口も下降線を辿った(どちらかというとコロコロ主導のミニ4駆などにシェアを奪われた)か、もしくはゲームやアニメなどその他の娯楽に興味を移していったと思われる。

そんな中、彼らスターモデラーの中では「異様」もしくは「異常」と呼んでも差し支えない活動を起こした人物がいる。ある者は大学卒業〜就職とともに模型活動を終え、またある者は模型メーカーに入ることで技術を活かす道を選び…と表舞台からは退いていくのに対して、自らの名を冠した造形集団を興し更なるガレージキット研鑽に立ち向かうという茨の道以外のなんでもないような進路を切り拓く覚悟を決めた男。マックスファクトリー代表・MAX渡辺氏である。

第2部はこのMAX渡辺氏ともう一人、彼らスターモデラー/ライター達を使う立場でここの時代を生きてきた人物である前ホビージャパン編集長・伊藤克仁氏、そしてたぶん第2部じゃなく第3部のゲストとして紹介されるべきだったグッドスマイルカンパニー代表・安藝(あき)貴範氏をゲストに招いて語られる。
「アニメ・ゲーム・声優まで幅広くプロデュースするマルチメディアプランナー」と横溢せんばかりの胡散臭さをプロフィールに持つ安藝氏はかの黒歴史『キラメロ』の仕掛人だったり、SSの隠れた名作『クオヴァディス』シリーズを発表し2年ほどで跡形もなく消え去ったグラムスに在籍していたりもしたという、自他共に認める業界ゴロ
第1部のアマチュアリズムがそのまま一大業界を作り上げたような美談とはうって変わったきな臭いステージになりそうな予感に一抹の不安を覚えたのは空条だけではあるまい。

最初にMAX氏が「あのころ模型ライターで食ってけると思ってるやつなんて一人もいなかった」と当時を振り返る。
『ホビージャパンEX』エルガイムのムック制作のため家賃7000円ほどのアパートにみんなで詰めて延々作業を続け、なんとか無事に本も発行、ギャラとして十数万円ほどのまとまったお金を頂戴したところでふと我に返り

M「ちょっと時給に換算してみたんだよね。そしたらきれーいに100円って出たの(場内大爆笑)」

そのころ3つほど掛け持ちしていたバイトの中の1つ、水泳の指導教官で時給1500円が支払われていた時代のことだ。そうした「食えない」現実に絶望してドロップアウトしたりまたはMAX氏のようにモデルグラフィックスに流出していく後ろ姿をリアルタイムで眺めていた伊藤氏はさぞかし耳の痛い話であったろう(何しろそれから約10年を経て今度は電撃ホビーマガジンへの人材流出を余儀なくされているんだから)し、思わずMG誌上でHJ叩きをやっちゃったMAX氏の気持ちも酌んであげるべきなのかも知れないとさえ…

MAX「(他人事のような顔で)あーーーーーーー……そう…だったっけ…?」

うん。酌まなくていいや

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WF☆20に行ってきた・その2『はっはっは!ハズレや!』

※手元のメモを見つつ思い出しながら書いているので、随時修正or追記が入ります。悪しからず。誤記に関してご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。

第1部はWF誕生以前のガレージキット黎明期からの流れを振り返る…のだが、さしもの浅井・寒河江氏といえどもその当時のエピソードとなると伝聞レベルでしかない。
「会場の中で誰かWF前史語れるぞって方います?」と問いかける浅井氏に対して挙手したのは…

ムッシュBOME。

「だからもうアンタ(壇上に)上がれ!」


というわけで黎明期ガレージキットシーンの生き証人として呼ばれた佐藤てんちょ・首藤氏と共に当時のHJ誌面をめくりながらその歩みを回顧していく流れに。


それでもこの当時からほぼ皆勤賞でWFに参加しているというツワモノも会場には散見され、気合が窺える。

中学生だった浅井氏はそのころ海洋堂から発売された某FSSキャラのフィギュアを買いに自転車で片道1時間かけて出かけたのだが、帰って開けてみると1/15のフィギュアの頭に直径5?oもの気泡が見事に乗っかっていた。
仕方なしにもう一度戻って「兄ちゃん(宮脇氏)、これ顔にでっかい気泡あるんやけど…」と交換を願い出る真紀少年にかけられた一言は

「はっはっは!ハズレや!」

であったという。良くも悪くも海洋堂の「大阪のあきんど気質」の片鱗はすでにこの時点で見られたようだ。ハズレやったらしゃーないもんなあ。もっとも2往復の道のり、4時間の時間、数千円のお小遣いを失ってなおへこたれずに立ち向かっていけるのは「同じ2000円あれば1/60ザクのプラモが買えるのになんでか知らんけど出来としてもどうやねんって感じのサデスパー買ってた子供」だった真紀少年なればこそだったのだろうが。


正直、このへんの話になると殆どがチンプンカンプンで、せいぜいついていけるキーワードと言えば「コミックボンボンでの速水仁司氏や小田雅弘氏、安井尚志氏たちの活躍」、実物の姿を辛うじて覚えている海洋堂製バイオハンターシルバの話題などといったところ。
またこの頃のWFの無法地帯ぶりを象徴する逸話としてよく引き合いに出される「会場のトイレに余ったレジンを流してこっぴどく叱られた」話は、B液が下水と反応してネバネバになり「ホントに大変やった(てんちょ談)」という。そりゃ追い出されるわ…。

いわゆる「ディーラーダッシュ」も第2〜3回当時からすでに見受けられた。現在のようなネット環境などなかった時代ならそれこそ片っ端から「とりあえず買っとけ」な雰囲気が蔓延するのは当然のことだったんだろう。
佐「っちゅーかオレもダッシュしてたよ」
一同「主催者ダッシュですやん!!


当時の誌面を飾っていたイラストに話が及ぶと突然浅井氏が朝霧陽子(中央)に食いつく。
「小学校の頃に初めて紙粘土で作ったのが朝霧陽子だったんですよ。んでこれを友達に見られて。
半裸の女の子の人形を作ってる姿を見られるっていうのは小学生にとってちょっと致命的じゃないですか。
せやから翌日ガッコ行ったら机にでっかく『H人形』って書かれてて
…考えようによってはエロ本を見つけられるより致命的かも知れない。

ところで第5回当時('88年)大芸大生だった寒河江氏は海洋堂への造形作品の持ち込みを行っていたという。当時を振り返り寒河江氏は自身の原点として「怪獣映画のスタッフにはなれないけど、怪獣の造形師にならなれるかも知れないという雰囲気が周囲にもあった」ことについて言及していた。
オリジナル同人マンガという分野で活動しているオレにとって実は寒河江氏や浅井氏のような個人ディーラー、またはそれこそ海洋堂や当時のゼネプロ、ボークスのようなメーカーでさえ「ずっと版権ものガレージキットを発表し続けて活動を重ねる」モチベーションの出所というものがかねてからの疑問だったりしたのだが、寒河江氏のこの言葉でどこかミッシングリンクがつながったような気がした。これは個人的になかなか小さくない収穫だったように思う。

またこのような草創期からガレージキットに携わってきた人々ほど『ガレージキット』という言葉の指し示す範囲、定義について考えあぐねているようだということもわかった。
これはどうやら当時からすでに「高いクオリティの造形レプリカを提供する」ゼネプロ製品と「クオリティ如何についてはモデラーの手に委ねる」海洋堂製品の方向性、もっと言うなら根底に根ざす精神性が異なっており、しかしそれでいながらそのどちらも同じ「ガレージキット」と呼びならわされていたことによってますます「ガレージキット」の定義の曖昧化が進んでいったのではと思われる。
この「ガレージキットってなんだろう」というテーマは第2部、第3部にも共通して出てくるのだが、それについてはまたのちほど。

その後'91年ごろの「鮎川まどか事件」、スーツ姿の小学館Gメンが無版権キットを見回った「パトレイバー大名行列」、B-CLUB誌上に掲載された『版権とはなんぞや?』の記事とそれに伴うWFバッシングへの流れ、後のJAF-CONにつながるF-CONの誕生などを駆け足で追いかけ、'92年のWF終了宣言につながる。
ガイドブックに寄せられた、かのナイトオブゴールドで当時最も著名な人物の一人だった生嶋毅彦氏(ワークショップキャスト)のコメントによれば

オープン前に会場内のガラス張り本部室内で、ゼネプロと海洋堂メンバーがなにやら真顔でお話中。(中略)と、いきなりのアナウンス。史上名高い武田氏の怒り声によるWF終了宣言。
つまりウチにとっては、初参加イコール最終回という展開に!あのなぁー!

「できれば今後は海洋堂に引き継いでもらいたい、とアナウンスされたことで、閉会直後からゼネプロ・海洋堂にはディーラーは言うに及ばずメーカーからも『続けてください!』『引き継いでください!』『どうしてやらないんですか!』と半ばケンカ腰の嘆願が殺到した(てんちょ談)」
かくして右往左往する個人ディーラーやメーカーの姿に、すでに2年間ボークスで働き退社したあとだった浅井氏は

「え?何事?」って感じで、むしろ爆笑してました。台風の時の小学生のようなものでしょうか。

…だったそうだ。同じく寒河江氏も「WFという場そのものに執着はなかったので混乱することは特になかった」らしい。
ゼネプロがWFから手を引いた一因には、どうも前述した「ゼネプロ製品の方向性がガレージキットと本来的にカチ合う」から、というところもあったのかも知れない。
そして海洋堂は海洋堂で、WF引き継ぎに関して「平素は『スーパーサブ』として館長(宮脇修氏)の面白がることをしたいという動機のもとに行動することの多かった専務が珍しく主導的に自分が面白いからと賛成する姿勢であったのに対し反対派の白井武志氏との対立があった(ムッシュBOME談)」そうだが、最終的には専務が押し切った形になったという。

ところでこのWF引き継ぎには「実はボークス社長も名乗りを上げていた」と浅井氏は語る。
プチ館長と呼ばれるほど海洋堂にシンパシーを抱いていたボークス社長・重田氏はその言動までも館長に影響されていたようで、ボークス入社にあたって浅井氏が社長に面会した時にも、先に"本家"館長の「このガレージキットという名の大海原にやなぁ!」という言葉を聞いていたところへ「このガレージキットという名の大宇宙に!!」と演説され「話のスケールはデカしてあるけどパクってるぶん人としてのスケール小っさ!」と驚き呆れたそうだ…(;´Д`)


そんなところで第1部は終了。全体的に懐古的な雰囲気ではあったが、当時の「熱さ」があったからこそ現在の流れの礎が生まれたのだなと納得させられるところが大きく、飽きるどころかもっと当時のエピソードを聞かせて欲しいぐらいだった。
ちなみに第1部で最もウケたのは冒頭の浅井氏の「僕ねえ、あ○のさんのこと大ッ△いなんですよ!!」 と自ら伏せ字入りでぶっちゃけたあたりだろうか。まあツカミとしては極上のエサではあったが…「敵対イベントちゃうから(;´Д`)」と抑えに回ってくれる寒河江氏がいなければ下手をすると終始あのままのノリで乗り切っていたかも知れないと考えるとうっすらと恐ろしいものがある。


ちなみに写真は佐藤てんちょのお土産、当時生産されたムッシュBOME作のDAICON?Vの女の子。数個が会場に手渡しで回された。当時のプラキャストということでバリが手に刺さるように痛い。
出来は確かに今となっては見劣りすると言わざるを得ないが、それでも当時の熱さは十二分に伝わる逸品だった。

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WF☆20に行ってきた・その1『そんなにヒールちゃいますよ?』

※手元のメモを見つつ思い出しながら書いているので、随時修正or追記が入ります。悪しからず。誤記に関してご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。

そんなわけで13時、第1部スタート。

「一応アンチョコ用意してきたんですけど」と手元の資料を掲げるがトークなんて完全に専門外のテクニックがあるはずもなく、浅井・寒河江両氏とものっけからテンパり気味。
それもそのはず、会場にはあの『悪の枢軸』海洋堂のムッシュBOMEが多忙を押してわざわざこれだけのために朝から上京して自腹で見に来ていたのだ
すわ海洋堂の偵察か牽制工作かと色めき立つ場内だが当のムッシュは完全にお楽しみモードでくつろいでいた。以後ことあるごとに壇上へ上がらないかと振られるムッシュだがそこはオトナ。あくまで一人の観客としての姿勢を貫いていた。途中からマイク渡されてたけど

さて件の『WF20』。サイトで浅井氏も暴露していたように、彼が中止の第一報を知らされたのは海洋堂からの通知でなければイベンターであるアークライトからの通知でもなく早売りのホビージャパン掲載記事を見て知ったファンからのタレコミによってだったと言う。既にその時点で海洋堂からゲスト出演を依頼されており、ゲストだけではとディーラーとしての二重参加を決めていた浅井氏と、同じくディーラー参加予定だった寒河江氏は同夜には電話のやりとりで「っていうかトークイベントならLPOあたりでできることだし、どうせならWF20と同じ日にバッティングさせたら当てつけみたいで面白いよね」と盛り上がり、寒河江氏は切ったその電話でそのままLPOに会場を押さえてしまったのだそうだ。なにしろ寒河江氏はWF20会場での独自企画として「WF20周年おめでとう映像」を撮影してやろうと既に20万円ほどかけてビデオカメラを購入してしまった後だったのだから笑い事では済まない。

会場こそ押さえたものの何をやるかは実質それから3ヶ月間は手つかずで、具体的に回りはじめたのは今年に入ってからだとか。そして本物のWF20がこんな形でポシャったからにはきちんとその代替イベントとしてそれなりに体裁を整えねばと浅井氏はホビージャパン編集部の大掃除に便乗して過去のHJ誌バックナンバーを揃え、首っ引きで資料を集めまくる。どうもネット界隈では「どうせアンチWFでアジって終わりなんだろ」みたいな空気が流れているようだが、それこそこの業界の最深部に20年間関わって手を動かし続けてきた浅井氏が今さらそんなバカげたことをやってもなんの意味もないことは誰の目にも明らか。誰でもない彼自身がこれまでの20年間をもう一度見つめなおし、今後につなげる足がかりとしたいからに他ならない。

この時点でまず声をかけたのがGAINAXの佐藤てんちょと首藤氏。本家WF20の立案メンバーとして悪者扱いされている佐藤てんちょを味方につけておけばとりあえず海洋堂も下手な手出しはできまいとの策略であったという。

また浅井氏が3週間かかりっきりで編纂した今回のガイドブックの表紙イラスト(上画像)はそのままWF20で使われる予定だった(中止に伴いWF2006冬ガイドブックの表紙イラストとして流用された)水玉蛍之丞・藤田幸久両氏による合作イラストの担当キャラ反転バージョンだが、この依頼を出した際に水玉氏も「当てつけみたいで面白いよね」と快諾してくれたのだそうだ。

その後、友人の結婚式に列席するためハワイに行っていた浅井氏の元へ海洋堂のボス宮脇専務から「連絡くれ」と留守番電話が入る
しまった。もうしばらく隠しておくつもりがバレた。こりゃ怒鳴りつけられるな。仕方なく肚を括って専務に連絡を取る。

「2年前のギャラが未払いになってたんで」

…取り越し苦労とはこのことかと胸を撫で下ろすと同時に、いずれ話さなければならないならと企画の話を切り出すと「なんや、そんなこと考えとったんかいな。面白いやないけ」の一言であっさりとOKが。これで晴れてなんの憂いもなくイベントが開催できる目処がついた。
もともと面白いことならなんでもOKな気質を持つ専務のことだったので事情さえ話せば厭な顔はしないだろうという目論見も浅井氏にはあったのだろう。
なにしろいつも海洋堂のレジに立って模型を作っていた「若旦那」とは小中学生の頃からの顔見知り。そこら辺の匙加減は風評しか知らない人にはあずかり知ることのないものがあるのだろう。

WF20は専務の持つ『SFコンへの憧れ』を実現しようとしたところに端を発するという。ゼネプロからWFを引き継いだ当時より専務は何かにつけて「あこがれのDAICON」という言葉を口にしていたというし、それならばクローズドな同志だけのテーブルパーティ、車座の体裁、ホテル開催に拘ったのも納得がいく(そのハコをアークライトの常小屋である横プリにされてしまったのは偏にアークライトの責任であるだろうとは思うが)。唯一最大の問題だったのはそれを「一個人・宮脇修一が開催するパーティ」としてでなく「海洋堂が主催するワンダーフェスティバルの一環」としてしまったところにあるのだろう。
人間として面白い人ではあるかも知れないが、経営者としては二流、三流であると言わざる得ない、それが率直な感想である。

そしてあの一連の騒ぎの中で何よりも解せないのが、それならそれで正直に包み隠さず発表すればいいものを無理矢理ワケのわからない理屈をつけて逆ギレのようなコメントを「公式に」出してしまう

の目論見である(写真はOHPに映し出された寒河江氏のラクガキ)。
ところで写真の彼、今回の企画についていずこかから挙がった「参加するの?」との問いにはにべもなく「行くかよ!」と一蹴して終わったとか終わらなかったとか。

先にも書いたが浅井氏には専務との少なからぬ思い出がある。そのためか昨今の海洋堂を称した『悪の帝国』的な呼ばれ方には異を唱えたい…というか「潰瘍そんなヒールちゃいますよ?」と呼びかけていたのが印象に残った。どうやら全てはスポークスマン(或いはプロパガンダ流布の元締め)たる写真の人物に因るところであると考えた方が自然なようだ。

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WF☆20に行ってきた・序章

※手元のメモを見つつ思い出しながら書いているので、随時修正or追記が入ります。悪しからず。

自分勝手な中止発表でいいだけ業界を揺るがしたはずのワンダーフェスティバル20周年記念イベント『WF20』がなんと3/19(日)に開催されてしまった。
といってもオフィシャルなものではなくあくまでWF20のコンセプトに乗っかった有志によるトークイベント。仕掛人は『F-FACE』浅井真紀氏『鬼将軍』寒河江弘氏、場所はあのサブカルトークショーのメッカ新宿ロフトプラスワン。イベント名も正式には『WF20(ワンフェストゥエンティ)』ではなく『WF☆20(ワンフェス☆ニジュウ)』。つのだ☆ひろ同様に☆は読まない方向で

こんなユカイそうな企画を見ておかねえ手はねえと急遽夜行バスを手配、参加してきた。LPOにも一度は行ってみたかったし。
思えば去年のコミケスペシャルの時もこんな感じではしかにでも罹ったかのような熱を帯びて上京したんだったっけなあ…。


事前の告知が(LPO公式サイト以外)ほぼ1週間前まで皆無に近かったこと、また雨模様も手伝ってか空条が到着した8時ごろにはまだ掃除のおっちゃん以外人っ子一人いなかったんだが11時を過ぎて気付けば大行列、きれいにキャパシティ限界まで詰め込まれた場内はスタート前から不思議な熱気に。
6時間の長丁場のトークは2時間ごとの3部構成で行われるという。
第1部は『WF以前からのガレージキット創生期、そしてWFの誕生とゼネプロ時代の終焉』までを当時の立役者ゼネラルプロダクツ(現GAINAX)佐藤裕紀・首藤一真両氏をゲストに迎えつつ年表と共に振り返る。
第2部は『'92年、ゼネプロ武田氏による「怒りの終了宣言」から海洋堂主催時代の到来と美少女フィギュアの台頭、JAF-CON勢力との二極化・闘争、EVAショック、そして「リセットへ」』の流れをMAX渡辺氏(マックスファクトリー代表)、伊藤克仁氏(前ホビージャパン編集長)、安藝貴範氏(グッドスマイルカンパニー代表)の3名と語る。
第3部は『「リスタート」以後のWF、オリジナル作品の市民権獲得から完成品の時代へ』を金谷ゆうき氏(BABYsue)、そして引き続きMAX渡辺・安藝両氏と検証していく。

※このイベントは有志よって行われるもので
「WF20製作委員会」「ワンダーフェスティバル実行委員会」とは一切関係ありません。
勿論敵対イベントでもありません。

と浅井氏自身のサイトでも前置きされていたとおり、今企画はあくまでも「それぞれの視点から見たWFの20年を持ち寄って、集まったみんなでその全体像を俯瞰してみようじゃないか」というところにその主眼が置かれており、その姿勢は最後まで崩されることはなかった。もっとも時折ホビージャパンや「あ」周辺について暴走しかける浅井さんを寒河江さんが羽交い締めにして(うそ)押さえる一幕もあったが。

と、まずは大まかな概要だけ。ちょっととても1つのエントリに収めきれねえ量のテキストになるので『WF20』カテゴリを設け、キーになる部分を何度かに分けて書いていきたい。

それにしても1部の途中から相席になったあの人がコタツガさんだったとは…どうせなんだから自己紹介しときゃよかった(;´Д`)

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