破BDでゲンドウを再考察する
Jun 11, 2010 04:44
待ちに待った破BD・DVDがついに発売されたわけですがなんだかんだと忙しくてまだ1回しか観れてません。これで劇場で観たのと合わせてつごう5回目なんだけど、なんかやっとこさほんとのほんとに冷静に観られるようになってきた気がするよ。
劇場公開版(以下2.00)からいろいろと細かなシーンの描写変更・追加が行われているBD・DVD版(以下2.22)ですが、個人的に最も注目すべきと思っている変更点はホントのところ相田くんなのかアイハラくんなのか...ではなく、第9使徒に侵蝕された3号機をダミーシステム起動状態の初号機が陵辱するシーンの途中、ゲンドウがモニタでその様子を見守るカット。
2.22ではサングラスも光を反射し口元も両手で隠されているため表情が読みとれなくなってますが、ここ2.00では口元が笑ってたんです。
『破』劇場での鑑賞時、空条さんが唯一違和感を覚えたのが他ならぬこの「笑み」でした。
このシーンに相当するテレビ版第拾八話『命の選択を』でのゲンドウは順調に使徒バルディエルとの闘いを遂行するダミー初号機の働きに満足するかのような笑みを浮かべており、これに倣って2.00でも笑みを浮かべる演技が施されたのでしょうが、拾八話のゲンドウと『破』のゲンドウの心境は明らかに違うわけで、ならばここで同様に笑顔でもって使徒撃退の様子を見届けるはずがない。
なぜってこの後『破』ゲンドウは、自らの手を汚すことを拒み使徒殲滅の任務を放棄、のみならずゲンドウをはじめとするネルフ本部の全員を恫喝したシンジに「望むものがあるなら万難を排して全力で掴み取れ」という意味の叱咤の言葉を浴びせるのです。
そこには明確な「ネルフ司令ではない、碇シンジの父・碇ゲンドウとして子に望む姿の提示」の意思が見て取れます。
対して拾九話『男の戰い』のゲンドウがここでシンジに放ったのは「お前には失望した」という三行半。失望とは概して部下や従業員など利害で構築された関係にある相手が自分の目論見通りの成果を上げなかった時に抱く感情であり、親が子に対して抱く感情とは考えにくい。
ではこれによって何が変わるのか。それは使徒への抵抗をせず、みすみす自身を危険にさらすシンジへ向けたゲンドウのセリフ「お前も死ぬぞ」が含む意味合いです。
拾八話のゲンドウはただ目の前の使徒を倒すことができればそれ以外はどうでもよく、仮にシンジが再起不能となったとしても「バックアップ」がある=シンジを唯一無二の存在と見ていないと言っていいでしょう。だからさっさと使えないシンジを切り捨て、自分に従順なダミーを起動させたのです。
『破』ゲンドウは―もちろん来るべき人類補完に必要不可欠な存在だからというのもあるだろうけれど―息子シンジをゲンドウなりに大切に思い、不器用ながら父子の和合を目指して接しようとしています。それは『序』ヤシマ作戦中にミサトが彼へ向けた「自分の子供を信じてください」という諫めの言葉に耳を傾け、綾波に誘われた食事会への参加を承諾したところからも明らか。
ならば「全力を尽くせばアスカの救出も不可能ではないはず、しかし息子はその前段階でつまずいている。息子を死なせるわけにはいかない。だがこのままでは息子は確実に使徒の手にかかってしまう」という「命の選択」の末にダミーを起動させたゲンドウがここで不敵な笑顔を作るはずがないんです。
それぐらいこのカットの持つ意味は大きい。だから2.22であの笑顔が修正されたことは非常に納得がいくものであり、これで自分としては『破』が完成されたと感じるのであります。
テレビ版で繰り返し描かれた「人と人との断絶=ヤマアラシ痛いから近寄らない!」に対し、やはり新劇場版では「人と人とのふれあい、和合=痛いけど面白いからいい!」がテーマなのだなと改めて確認するのでした。
それと以前のエントリで言及してた『翼をください』=『甘き死よ来たれ』の仮説についても2.22の特典映像で確証を得ました。その確証材料とはRebuild of Evangelion 2.02内で使われている本編未使用バージョンの『翼をください』ラスト近くに入ってくるハンドクラップ。
本編で使われていたバージョンでは全体のバンド構成とイントロのコード進行が構築する世界観の類似、あとラストのヒステリックなストリングスぐらいの状況証拠しかなかったんですが、このクラップはもはや物証を得たと言って差し支えないレベルでは。
セリフ回しや演出という左脳的な面だけでなく音楽を用いた右脳的な面からもこうした「テレビ版〜EoEを経た世代にだけ冷や汗をかかせる」仕掛けを組み込んでくるのはなんとも上手いなあ。
カテゴリ:新劇場版
3回目を観て式波さんを考える
Jul 19, 2009 06:07
金曜日に通算3回目の『破』鑑賞。
以後はまたしてもネタバレ満載なので未見の人は読み飛ばし推奨。
…と言っても今回は巷間で取り沙汰されている「あの描写どうだったっけ?」的な箇所のおさらい&答え合わせのつもりで観に行った部分が大きかったんだけど。
まず『謎の円盤UFO』へのオマージュ描写はタブハベース上空をゲンドウ達の乗る月往還機が漂うそのさらに上、ロンギヌスの槍と思われる大きくて長い物体を牽引していたのがおそらくS.I.D.。
月往還機がイーグルトランスポーター、もしくはカラーリングからレスキューイーグルだと言ってる人もいるみたいですが、あの月往還機はイーグルにしてはフォルムが細いです。またそれがコンテナを積んでいない状態だとしてもイーグルならば船体の全体にトラス構造が認められるはず。そしてそれ以前にイーグルは『UFO』ではなく『スペース:1999』に登場するメカなのでクレジットとの矛盾が出ちゃう。
「今回はリッちゃんがやけに大人しい&ゲンドウもそれほど外道じゃなさげなので、ひょっとするとリッちゃんママに絡んだ愛憎劇がないかも」という予測から綾波はもしかしてまだ1人目なんじゃないか?と予想を発展させているのを見ましたが、調整槽に浸かっている綾波にゲンドウが「食事にしよう」と呼びかけるシーンで彼女が着けている首輪には『REI-02』の刻印があったので経緯は不明ながら綾波はやはり2人目の可能性が濃厚。
某所で「バルディエル戦後アスカの荷物がまとめられたコンテナに貼られたネームプレートに記された苗字が『惣流』だった」という目撃証言がありましたがこれは間違い。ちゃんと『式波』でした。空条さん映画鑑賞の際は度がピッタリのメガネかけるんで自信あります。
シンジがミサトの家を出るシーン、ミサトが留守電のたまった携帯を手渡そうとするところでケンスケの苗字を「あいはらくん」と言っている。これは2度目に観た時から気になっていて聞き違いかと思ってたけどやっぱりそう呼んでました。でもその前、トウジの妹が退院したとシンジに告げる登校シーンでは委員長から「おはよう、相田くん」と呼ばれていたし、『序』のシャムシエル戦で発令所のモニタに表示されたIDでも「相田ケンスケ」となっていたのでこれはミサトの覚え違いか、あるいは台本での誤記・読み間違いのどれか。そもそも今回は「第壱中学校に通う生徒全員がマルドゥック機関によって選出されたエヴァパイロット候補」という設定すらない雰囲気だったことからケンスケはおろかトウジも参号機パイロット候補に含まれていないようだし、むしろ苗字を覚えられていただけありがたいと考えるべきなのか(;´Д`)
クライマックスの『翼をください』のイントロ、最初にピアノで入ってくるコードがやっぱり『甘き死よ、来たれ』に酷似している気がして、でも考えすぎかなあとか思ってたけど『音楽図鑑:近況報告』さんのこのエントリでもこの点に触れられているのを見てあああそこで一瞬ギクッとさせられたのは自分だけじゃなかったんだと確信。そういや女性ボーカルとコーラス含めてバンド構成もそっくりだもんね。
…とまあ大きな答え合わせはこんなところ。
しかし3回観て改めて旧シリーズとの違いを実感するのは、今回はどのセリフにも相応の重みが込められている点。
そしてそれに気づくと途端にアスカ周辺の描写がどれもこれも深い意味を帯びていることがわかります。
アスカの尺は短いけど短いなりに練りに練ってあるんだなあと感心。
以下考察。
「日本人の信条は察しと思いやり」というミサトのセリフは九話でアスカに対してかけられた言葉だけれど、正直なところ九話の流れではただ単に大人が子供の純粋な疑問をはぐらかそうとしているだけ(同時に視聴者を煙に巻こうとしているだけ)にしか聞こえませんでした。
ところが『破』ではまさにこの「察しと思いやり」という言葉がアスカに確固たる影響を与えてます。
人形のようだった綾波の中に芽生えたばかりの恋心を「察し」、そんな彼女とシンジを「思いやって」アスカが参号機のテストパイロットに志願したのは明らか。
このエレベータのシーンでアスカは「これだから日本人は」といったセリフを呟いていますが、ここ以外に社会科見学でのやりとりでも綾波に対して「ごめん」と謝るシンジを見て同様の感想を抱いています。
旧シリーズを踏襲するならばここでの惣流さん流のキレ方は
「アンタ男ならもっとシャキッとしなさいよ!内罰的すぎんのよバカシンジ!!」
といった理不尽な攻撃でしょうが、式波さんの場合は異国育ちである自分と日本人の間にあるカルチャーギャップへの戸惑いが先行しているため「なんで日本人は悪くもないのに謝るの!?」となるんですね。
惣流さんを代表するセリフである「あんたバカぁ!?」は彼女の余裕のなさ、遣り場のない怒りが言わせていた感がありました。式波さんがこのセリフを多用しない、使っても文脈的におかしくない=彼女が本気で相手をバカだと思っている箇所に限定されているのも当然でしょう。
なぜなら式波さんには自分を保つ目的で他者を攻撃する必要もなければ、遣り場のない怒りを常に抱えているわけでもないから。
しかしここは産まれ育ったユーロの地から遠く離れた日本。これまでうまくやってこれたはずのことがなんだかうまくいかない。戸惑いが焦りを生んでいたのも間違いないでしょう。
そんな勝手の違う異国の地で指針となるのは、彼女の目指す理想像である「自立した頼れる女」ミサトの言葉。
また社会科見学をしぶるアスカを諭す「和を以て尊しと為す」という言葉も以後サハクィエル戦でのチームワークの効果を目の当たりにして肌で学んでいます。
参号機パイロットへの志願はこの「和」を重んじたが故とも言えるでしょう。
こうしてシンジや綾波たちとの交流の中で察しと思いやり、そして和の大切さをを体得したアスカはミサトに認められ、自らの身の置き所を自分自身で獲得したわけです。
式波さんの芯の強さは「自分で自分を認めている」からこそなのかも知れません。
式波さんが人形に話しかけるシーンで「アイツらともちがぁう♪」と呟いていますが、これは子供のころからエリートとして同年代の子供たちと一線をおいて育てられてきた自分、本来望むはずのない孤独を強いられてきた自分の境遇を正当化するための「エリートは孤独である」という子供っぽい自己弁護と読みとれます。
精神を病み、人形が我が子であるかのように振る舞う母親を見ていたことから、惣流さんが人形と会話する理由は「理解者・絶対的守護者の渇望からくる代償行為」でした。
たしかに式波さんの行為も決してポジティブとは言えない類のものではありますが、彼女にとっての人形はシンジのSDATや綾波のメガネと同じように母子をつなぐ「絆」としてより陽の方向に意味を変成されているのではないかと予想します。
自殺という最悪のかたちで実母を喪い、継母からのネグレクトを受けて育った惣流さんは他者から認めてもらった経験のないまま育ち、結果として自分で自分を認めてやることもできずエヴァに固執せざるを得なかった。
とても残念なことです。
『破』の時点では式波さんの肉親にも同様の経緯があったかどうかが描写されていないため確証は持てませんが、もし彼女にもネグレクトの過去があったならばそれを如何にして克服したのかがQの見どころですね。そしてもしある程度の克服が自分でなされていたのだとしたら、エレベータで綾波から「あなたにはエヴァに乗らない選択肢もある」という言葉をかけられた時点で彼女はエヴァのくびきから完全に脱却していたのかも知れません。…うん、だから参号機のことも受け入れられたし「気に入ったら赤く塗ってよね」と言えたのかも。
ってなことをサントラ聴きながら考えていたらバルディエル戦の曲『2EM29 E5』の不協和音コーラスが
ハー
レー
ルー
ヤー
だったことに気づいて背筋が凍った…(;´Д`)
ってCDのライナーにあるCho譜面見たらそのものズバリHallelujahって歌詞ふってあったよ!
カテゴリ:新劇場版
破【バレ放題】
Jun 27, 2009 22:12
というわけで序の時と同じぐらいの文字数でネタバレてんこもりでやっちゃってますんで、まだ観てない人は絶対に読まないでねヽ(`Д´)ノ
例によってまた思いつくまま追記する可能性アリ。
『序』の感想エントリはこちら。
『序』を観た時の感想を端的に言い表すなら
「あの慣れ親しんだエヴァ、だけど何かが確実に違う」といったところか。
そしてこの『破』は「何もかもが違う、だけど確実にエヴァ」。
仮設伍号機と第3使徒の闘いからそれは始まっている。『序』で見せた手法とは明らかに違うものがこれから繰り広げられるんだと観客に覚悟させるに相応しいアバンタイトルだった。
ユイの墓前に立つシンジとゲンドウの精神的距離感もテレビ放映時のそれより縮まって見えた。
一度は滅びた世界で、それでも明日を信じている人々が海を取り戻そうとしている。
大人は相変わらず大人だけれど、あるべき大人としての自覚に満ちている(ゲンドウを除いて)。
そんな中、『序』から通して25トラックと26トラックをひたすら繰り返していたシンジのSDATが、異物であるマリとシンジの邂逅を端緒に27トラック目に入った瞬間から相違は加速する。
旧シリーズのシンジならば加持のちょっかいに対してはっきりと拒絶の意志を示すことすらできなかっただろう。
その後もトウジのソーダバーは外れ、
弐号機は封印、
綾波はアスカのビンタを受け止め、
アスカはその綾波の手の絆創膏から彼女が口先だけでなく本当の人間性を持つことに気づき、
そんな綾波を気遣い参号機パイロットを買って出る。
そしてシンジはゲンドウからの箴言を受け止め、
「女の戰い」の中で、
誰のためでもない自分のために綾波を救おうと決意する。
眼前に立ちはだかる第10使徒へ激しい怒りをぶつけ、
母の手を借りずにそれを討つ。
さらに綾波は綾波であって他にかけがえのないものだと言い聞かせる。
綾波の魂は救済され、
シンジと一つに溶け合いたいと願う。
なんという清々しい青春群像か。
シンジは人と触れ合うことの楽しさを心の底から噛みしめ、一瞬一瞬を大切にしたがっているように見える。
綾波の情動には確実にヤシマ作戦以後の変遷が見られ、旧シリーズのような「何をやっても結局感情はリセットされてる」印象はない。
孤高の存在を気取るアスカには加持すらおらず、話し相手はワンダースワンだけ。
そんな3人の子供達が寄り添い、互いの存在を確かめあい認めあっていく。
ヤマアラシのトゲはちくちくと痛いけれど、同時にぽかぽかする。
なんだ庵野の野郎!ちょっと丸くなりすぎて逆に気持ち悪いぞ!
パンフによると庵野秀明は物語を演繹的に構築していく人間だという。たしかにどこへ向かうのかさっぱり予測がつかなかったテレビ版の印象はまさに演繹法で紡ぎ出されたが故と直感できる。
だが『破』は――庵野とマッキーは今回も演繹的に作ったと言ってはいるけれど――実に帰納法的に構築された感が強い。
それはおそらくキャラクター達の饒舌さからくる印象なんだろう。
かつてエヴァンゲリオンなる作品を評する際に用いられた形容詞は大抵どこかに「難解」のニュアンスを含んでいたと思う。それはキャラクターの心理描写が非常に抽象的であり、受け手の数だけどころか受け手一人一人のその日の心理状態によって如何様にも枝分かれしていく曖昧さからくるものだった。
エヴァに乗ると言ってみたり乗らないと言ってみたり、やるやると言うだけで実質何もしなかったりと、庵野の中では整合性が取れていても傍目には軽い人格破綻者的な情緒の不安定さを見せつけるテレビ版&EoEでのシンジがその最たるものだ。
しかし新劇場版での彼らには明確な「なりたい自分」があり、そこへ到達する最短ルートを脇目もふらずに歩んでいるように描写されている。
それもわざとらしいほど饒舌に、だ。
饒舌さはやはり特に子供達において顕著だ。
ラミエル戦で初めて自分に向けられたあの笑顔以来シンジは綾波のことが気がかりでならず、どうすればあの笑顔にまた会えるかといつでも目の隅で追ってしまう。
綾波はゲンドウに抱いていたのとはまた別種の「ぽかぽかする」感情の発露に戸惑いつつも、その正体が知りたくて堪らない。そして(シンジへの愛情であると自覚半分に)その感情に向かって不器用に突っ走る。
アスカは「普通の女の子」として「エリート」を演じきることの楽しさを見いだし、ミサトのような頼れる格好いい女になろうと邁進する。
マリは冒頭での戦闘時、青い空を割ってシンジの目の前に降ってきた時、本部との通信を一方的に遮断して第10使徒に対峙する時と一貫して「気持ちいい」ことに貪欲なパーソナリティを見せつける。
そこに旧シリーズ・旧劇場版のまるで上に進まない螺旋階段をぐるぐる回っているかのような葛藤・懊悩は微塵も感じられない。
子供は子供の領分を知っていて、この狂った世界で精一杯に子供として逞しく生きていこうとしている。
あの綾波が他人のために何かをしたいと(しかも隠し事をしてまで)思うだなんて。
こんなエヴァを誰が予想しただろうか。きっと10年前にタイムスリップしてこの話を当時の自分に話して聞かせても一笑に付されておしまいだろう。
それぐらい旧シリーズのエヴァはキャラクター描写に関して実は希薄だったのだ。
新劇場版ではこんなシンジ達の目指すゴールが(とりあえずは)夢想できる。それはひょっとするととても自分勝手な理想の押しつけなのかも知れないが、それでもなんとなく以前のようなそれこそ「気持ち悪い」場所には着地しないで済みそうという期待が持てる。同時にそんな楽観的な期待など完膚無きまでに叩き潰して欲しいというマゾな願望もあるんだが。
演繹法で物語を作るということは「作っている本人にも終わるまで結末が判らない」ことを意味する。エンドマークを見てやっと自分が言いたかったことがなんなのかに気づく、それが旧シリーズまでのエヴァを作る過程だったのだろう。
そして今、目指すべきゴールは明示された。
『序』の感想でも触れたようにエヴァとはハッタリとそれの深読みのコラボレーションである。
ここからただのハッタリを排除し、機能するハッタリを再配列し、深読みをコントロールする作業、それが新劇場版なのだろう。
…と、堅苦しい感想はこの辺にして。
もうね!もうね!「綾波は綾波だ!代わりなんていない!!」で見事に涙腺決壊ですよ。冗談抜きでぬるい涙が頬を伝いましたよ!変な嗚咽が出ないように手で口おおいながら見てましたよ!でももう頭ン中まっ白だし画面は霞んでよく見えないしでリッちゃんが何しゃべってんのかビタイチ頭に入ってこなかったよ!いや2回分チケット押さえといて正解だった!
こんなの劇場版セーラームーンR以来15年ぐらいぶりだよ!年甲斐ねえったらねえな全くハハハハハ!
ってか月に帰れよこの変態全裸!今のシンさんにとってお前は無粋でしかねえんだよ!
当時なんだかんだ言ってシンジに感情移入して見てたから弐拾参話はそれはそれはショッキングだったわけですよ。そして綾波を語る上では「3人目」のエピソードは外せない、どんなに彼女との関係を構築してもいずれは全てを失ってしまうと思いこんでるから「うわあここで殺しちゃうのかあ」ってなもんで全然疑いもしませんよ。
その綾波が特攻をかける理由は「碇くんがもうエヴァに乗らなくてもいいように」ときた。くわえて面識がないどころか名前すら知らない「弐号機の人」をも助けようとする無償の自己犠牲の精神!戦って死ぬことそれ自体が目的だったと言ってもいいテレビ版とのメンタリティの違いですでに涙腺にはリーチかかっちゃうってもんです。
しかも綾波救出に至るまでの過程にしても直前にゲンドウから「望むものがあるなら全てを犠牲にしてでも自分で掴み取るものだ」と諭されたことがキーになっている。やっぱりシンさんはお父さん大好きなんですよってのがここでも伝わってくる。またこのシーンでは並の演出家だとシンさんが走っていくのに合わせてモノローグでリフレインしたりして脚本の意図を補強しようとするんでしょうが、そういう安直さがないところはやはり堂に入ったものと言いますか。そのくせ救い出された綾波の手にはしっかりと父子の絆をあらわすSDATプレーヤーが!!
もうなに!?なんなのいったい!?『序』でたいがい憑き物落としは終わったと思ってたのにまたバカデカい補完されて帰ってきちゃった。『序』の憑き物落としが「エヴァを好きでいたい、けれどあんな結末の後ではいまいち胸を張ってそれを口にできない今の自分」の補完だったのに対して、『破』のそれは言うなれば「エヴァが大好きで毎日エヴァのことばかり考えていた当時の自分、綾波を救ってやりたいと心から願っていた当時の自分」の補完なんだと思います。終演後にわき上がった拍手はきっとそんな「よくぞ綾波を救ってくれた!」という意味だったでしょう。少なくとも空条さんはそのつもりでした。
中盤のギャルゲー展開ではこんなことやってて大丈夫なんだろうかとむちゃくちゃ心配したけどそれがこうも効いてくるとは。シンさん男前すぎ!もう掘られてもいいッ!
もうこうなったらQではゲンドウとの父子関係修復までやっちゃうのかな。命をかけてシンさんが初号機に乗るのを助けるとかやっちゃったりしないよね?
お食事会の準備で綾波が煮えたぎらせてたのが思い出の味噌汁ってのもいい。きっと出汁なんかとってないただお湯で味噌を溶いただけの代物だろうけど。あの山のような切り傷は豆腐を手に乗せて切ろうとしたんだね…。
アスカの方も加持くんと深く知り合わなかったことで連鎖的に人間の汚い部分に触れる機会が減ったおかげで、シンジ・ミサト・綾波の誰ともちょうどいい距離感を保ったまま綺麗に途中退場できたのは上手いと思う。
そのおかげで「戦ったら友達を殺してしまう」と理性的に躊躇していたバルディエル戦でのシンちゃんと、特等席で綾波が頭からもりもり食べられてる光景を目の当たりにしながら「はあ?綾波が死ぬとか有り得ないだろ常識的に考えて。だって俺が助けるんだから!」というまるで根拠のない自信とともに一目散に走っていくシンさんの心境の対比が効いてくるんだねえ。イラストリアスさんが言うとおり都合のいいヤツだよホント!
使徒のデザインもここまでいじってくるかととても新鮮でした。鬼頭莫宏は仮設伍号機と戦ってた第3使徒らしいけど浅井さんはどの辺に関わってたんだろ?っていうか1回目に見た時は放心状態で浅井さんの名前がクレジットされてるの気づかなかったよ(;´Д`)
ところで謎の円盤UFOってどの辺のことかしら。カラーのロゴSEとかミサトさんの着メロとかマットビハイクルとか新マン関係のはすぐわかったけど、タブハベース上空にスカイ1かインターセプターあたりでも飛んでたのかなあ。イーグルっぽいのが浮いてたのは確認したけどあれはスペース1999だし…。タブハやペタニアはゴルゴダ同様イスラエルの地名みたいね。
しかしミサトさんやゲンドウたちが深く描写されるにつれてリッちゃんが浮いてきたねえ…イロウルがリストラされたせいで余計に存在意義が薄れてきた気がする。これでヘタにゲンドウとの愛人関係だけ生きてたらリッちゃんこそエコヒイキ的ポジションになってしまうような。
あとイラストリアスさんもキャラとして未知数の部分が多いまま終わっちゃったので評価しづらい。Qへの期待要素としては充分だけどね。
実は最初に名前が発表された時点で「真希波…マキナミ…デウス・エクス・マキナ?」とか思ってはいたんだけど、パンフを読んでみるとマッキーにとってはまさに「作者にとって都合のいい存在」なので案外これは当たってるのかも?
ネルフの人間でもその存在を知らなかった裏コードに精通していたり、どっからどう見てもダブルエージェント的な行動をしていたり、もしかすると今回の『自由を司る天使』タブリスは彼女だったりするんだろうか。
あのKY変態全裸が言う「初めまして、お父さん」はひょっとして正しくは
「お義父さん」と書くんじゃないかとか(;´Д`)
エンディングは『序』に引き続きBeautiful World。
TV版でもFly Me To The Moonには複数のリミックスが存在していたので「エヴァのED」という意味では下手なタイアップでころころ曲を変えるよりも正しい選択だったと思うですよ。
急=Qとなると完結編はやっぱりAなのかなあ…。
Q(Question)=Quickening:加速・蘇生・胎動なので
A(Answer)=Awakening:覚醒
とかありがちな予想してみた。
ともかくますます完結するまで死ねないという思いを新たにした一日でありまったヽ(`Д´)ノ
…えーっと2015年までには公開されるよね?
カテゴリ:新劇場版
序【ネタバレ盛大に含む】
Sep 01, 2007 23:33
ってなわけで観てきましたヽ(`Д´)ノ
HD時代に対応すべくレイアウト流用はあってもオール新規作画という触れ込みどおり、ってか想像以上に情報密度は上昇してましたな。
以下ネタバレまみれ。思いついたことを随時追記します。mixiのコピペでごめんね。
冒頭、郊外に行くにつれて緑地と融和していく『新』第3新東京市の景観でいきなり「おおっ!」と掴まれました。
シンジとミサトの声は10年を経てなお色褪せておらず一安心。リッちゃんも当時よりブレスの置き方や破裂音の発音など上手くなってるのがよくわかります。逆にマヤがあなた誰状態で吹いた。よく知らないけどプチえう゛ぁとかあの辺ではアイドルやってるそうなんでそっちに引きずられてんだろうか。
第壱話パートがそれこそセリフを諳んじられるほど丸ママだもんで最初は面食らったけど四〜六話はかなりいじってあって、しかもその改変がすべてオリジナルで感じていたもやもやを拭い去ってくれるもので個人的にかなり好印象であります。
その他にもオリジナルに散見された「まだ設定が固まってないけどとりあえずハッタリかまして誤魔化すために体言止めではぐらかしとこう」的な稚拙な言い回しがきっちり直してあって、「その場しのぎのやっつけ仕事は盛り上がりこそすれ自分のためにならないからやめた方がいいよ」というこの10年間みんなうすうす気づいてたけど最大の成功例を見てそれに倣ってしまったがために否定できないでいるスキームをオリジン自らが全否定してる感じがして小気味よかったです。
あのね、ぶっちゃけオリジナルのヤシマ作戦編って嫌いだったんですよ。
シンジは結局なあなあで乗っちゃうみたいなところがあったし、
ミサトは四話であれだけ揉めたくせに相変わらず他人事だし、
綾波のセリフも「(任務だから)私が守るもの」だし、
ラストの笑顔も意識朦朧としててゲンドウとごっちゃになってただけだしで
シンちゃんただただ空回りで可哀想、ってお話だったでしょ。あれがどうにも気持ち悪くて嫌いだった。
でも今回の大幅なシナリオ再構成によってその気持ち悪さが打ち消され、その結果登場人物が全員少し成長してるんですよ。
キャラクターの成長!これはオリジナルのエヴァでは全くなかった要素ですよ!?まあミサトの心境の変化がいささか唐突に思える部分もなきにしもあらずだし、なによりこれらもゲンドウのシナリオの一部である可能性は「あのセリフ」のおかげでついて回るんだけどもとりあえず今はそんなこたどうでもいいです。あの庵野秀明がキャラの成長を描けるようになったってだけでもうお腹いっぱい。
っつかこれを観たおかげでなんで自分があんなにヤシマ作戦編を漠然と、でも確実に嫌ってたのかの理由に気づけたんですけどね。
よくよく考えたらテーマソングのタイトルが「Beautiful World」って時点で察しておくべきだったね!
「結婚して丸くなった」とか色々言われてますがね、やっぱ我が子という存在が心理的に現実味を帯びてないと「親子」がテーマのお話なんて描けないんだと、そしてそのことに結婚前後両方での実例を提示して見せてもらわないと、そして何より観ている自分自身がシンジよりミサトを追い越してゲンドウの歳に近くなってきた今にならないとどうしても気づかないものなのかなあと痛感しましたよ。「自分の息子を信じてください」だよ!?こんなセリフあなた10年前の庵野を逆さに振っても皮肉混じりでしか転がり落ちないし、10年前の空条さんじゃそんなの望むべくもないと反発してるだけに違いないですって。ゲンドウ見てて「この親にしてこの子あり」ってのが今になってわかりますよ。こいつ間違いなくシンジの父親だよ!
ただ同時に独身時代のような「歪で気持ち悪いけど人の心を惹きつけるもの」はきっともう作れないんだろうなあとも改めて思いました。ラストのカヲルがロングでは影指定の関係で隻腕に見えたんですが、こういう見間違いも「父親が不具者である影響から『欠損した人体』というものに憧憬のようなものを覚える」と自白していた10年前の庵野の影を受け手=自分が勝手に引きずってるから起きただけなんでしょうな。
あと自分自身についての感想として意外と冷静に観てられたのが面白かったですよ。まあ旧劇場版に関して自分は全肯定派だったからなあ。
エヴァという作品が持っていたそもそものモチベーションは簡単に言えば「オタクに対する反旗を翻す」だったんですけども、基本的にこの10年間でのエヴァの再生産物はどれも「ええーいいよもう監督は黙っててよオレ達はオレ達の気持ちいいエヴァをずっと夢想していたいんだよー」という、監督へのオタクの反旗なんですな。だからこそ10年間もずっとカサブタはがしみたいなことをやってこられたわけで、そしてだからこそそういう流れにどうにも与することができなかった自分はこの新劇場版をごく自然に受け入れられたんだと思うです。
この新劇場版という作業が果たして思考実験なのか純粋な創作意欲なのか、どのような本意のもと作られているのかはわかりませんがこれだけは言えるかも知れない。
それは
オリジナル以後ずっと公式/非公式両面から『補完』され続けてきた
「歪な、でも目を背けきれないエヴァンゲリオンというターム」
を
「きれいなエンタテイメントとして消費され終わりを迎えるヱヴァンゲリヲンという商品」
に再構築する作業なのだろうと。そういう意味でこの3+1部作は「最後にして最高のキャラクターグッズ」となるであろうと思うし、そうなって欲しい。
所信表明にある「もう古い作品だと思っているのに未だにこれより新しいアニメがない」あたりが如実に物語っていますな。
賛否両論の宇多田ヒカルのED曲もエヴァという作品のテーマと真摯に向き合い咀嚼してる歌詞がよかった。むしろ真摯すぎてちょっと引いたかも知れない。
確かに『残酷な天使のテーゼ』とともに流れるOPのインパクトたるや凄まじかったんだけどぶっちゃけ今さら高橋洋子でもねえだろうと思うし、何より作品テーマなんかまるで無関係ただCD売れればいいですよ的な日テレ系アニメOP/EDみたいなことになるよりか全然いいじゃないですか。「思い入れ」とかそういう言葉を盾にこの辺を腐してる人って結局「何が歌われているか」なんかはどうでもよくて、ただ「誰が歌うか」という形骸に固執してるだけなんだろうなと。
…とまあそんなわけでヤシマ作戦編のためだけにでも観に行く価値は充分あると思うです。上記のようなシナリオの再構成はもちろんのこと作戦遂行中のテンションの高め方が素晴らしい。
ただし――誤解を恐れずに言いますがこれは『リアルタイムで毎週追いかけてた人のための映画』です。それ以外の人にこの映画の作りを批判する権利はないと思うし、もっと言うなら『知らないけど話のタネに見てみた』とかいう人とは一切なにも語る気がしないっていうかオレの前では黙ってろ。
映画館へ行く前にレンタルで予習したよという人もいるでしょうが所詮はビデオのイッキ観。知識の補填はできても、毎週水曜6時30分にテレビの前に正座して瞬きすらも惜しいとブラウン管を凝視、予告で次回の展開に胸を躍らせ一週間なにしてても頭ン中エヴァのことしかないみたいなあの中毒症状は絶対に追体験できねえですから。
もうその辺は後れて生まれたものの宿命と思って諦めてください。
って言ったって今のようつべやニコニコでぬるめられた子にはピンと来ないんだろうけど。挑発しすぎ?
さて、サキエルが第四使徒ってことはどうなるんだ?白き月のアダムと黒き月のリリスとは別にもう一体の使徒が既に確認されてるってことだよね…冒頭でシンジ到着時すでに人型の現場検証あとらしきものがあったし、町のあちこちに電車や船が突き刺さってたし、なにより「15年ぶりだな」のセリフがない。ミサトがひそかに一尉から二佐まで2階級も昇進させてあるのはきっと大した意味ないんだろうけど。
…それとシンジが「また3番目」ってのは何だ。まさかストーンオーシャンよろしく一巡した地球のお話とか言いだすんじゃなかろうな(;´Д`)
あ…よく考えたら冒頭の赤い海と白い砂浜って…マジで?
レイアウト流用について惜しむらくは笑顔の綾波のカットを『Death』編の摩砂雪作画でやって欲しかったかなあ…と。まあそれやっちゃうと前後のつながりがおかしくなるし新規作画(マッキー?お貞?)のシンジの泣き笑い演技がよかったからいいんですが、あの可愛らしさを上回る綾波は未だに出てきてないと思ってるもので。
あとカヲルがなんか別人っていうかもうカヲルじゃなくてただのタブリスだった。
予告で初めて劇場内がどよめいた。あれ誰ですか。
しかしこれだけ笑顔でエヴァについてあれこれ考えられる日が来るなんて10年前には想像もつかなかったですよ。憑き物が落ちたってのはこういうことか。
ともすれば新劇場版とはエヴァ直撃世代補完計画なのかもだ。
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