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手を動かさない人、動かさなくなった人

ちょっと前にコタツガさんところで話題になってた「手を動かさない人」の増加。

結論から言うと「完成品の品質向上とアイテム数のバブル的な増加」が根本的な原因だと空条さんは思ってます。「手を動かさざるを得なかった」時代から「手を動かすまでもなくなった」時代、さらに「手にする必要もなくなった」時代に主流がシフトしつつあるってことだと。

この結論に至るまでを自分になぞらえたりしてちょっと考えてみた。
自分語りばっかりのチラシ裏なのでおおむね読み飛ばし推奨。

空条さんは模型の中でもことフィギュア遍歴に関してはこちらの人とほぼ同じ感じで、もちろんそれ以前からフィギュアやガレージキットの存在は知ってたけどそれが「自分と関係あるもの」になりかかったのはやっぱりセーラームーンから。
もっと具体的に言うと最初に手を出したフィギュアは長岡京のボークスで買ったB-CLUBの1/12セーラーヴィーナス。表面処理してサフ吹いて肌を筆で塗りはじめたところでもう10年以上放置されてる、そんな感じ。

その後エヴァで立体シーンがドッと盛り上がって、もちろん自分もエヴァには首どころか頭の先までドップリだったけれど個人的にその頃の立体にはさしたる興味も示さず、1/1綾波が出るらしいと聞いてもああオタクのありようもずいぶんと広がったものだなあぐらいのわりと対岸の火事っぽい感慨しか抱かなかった。

話はここで10年ほど遡る。
空条さんはガンプラブーム直撃の1981年当時は親父の仕事の都合で2年ほど岡山の片田舎に住んでまして。まだファミコンもない時分の話、当然というかなんというか周囲には娯楽らしい娯楽もまるでなく、田舎の学校なので近所に唯一あった郊外型ショッピングセンターのゲームコーナーで遊ぼうものならものすごい勢いで学期末の部落児童会(集団登校の単位ごとでやる「おわりの会」みたいなもの。同和関係から苦情が来そうだがホントにこういう呼称だった)でつるし上げを食らうためインサートコインはおあずけ、他人のプレイを眺めているだけの放課後ライフ。

ただ娯楽に飢えているのは当然自分だけではないわけで、同級生はそのショッピングセンターにあるオモチャ屋でガンダムやマクロスのプラモを買って作って遊んでいた。転校生の空条少年は周囲と話題を合わせるため半ば自衛的にその道に踏み込むことになります。まあ最終的にはそのオモチャ屋主催の模型コンペに出品してなんか特別賞のちっちゃいトロフィーもらうくらいには自分から楽しむようになっていくんだけど。
でもその後また京都に舞い戻って中学に上がるとすっかりゲーム漬けになってしまい、当時に買いためたキットは今でも実家の押入に積まれてます。

以来セーラームーンで少しフィギュアに手を染める以外は数年に一度ぐらいの割合でプラモを組みたくなるといった、夜中のいなり寿司的な禁断症状のようなものに駆られてタミヤのウイリアムズFW-13Bを組んだりしたことはあったものの、趣味と聞かれて「模型」と答えることはまずない日々を送り。

だから今のようにフィギュアを見る目を持つようになったのはほんの3〜4年ぐらい、それこそ完成品市場が一気に確立してからのことだったりします。原型師さんの名前を本格的に気にするようになったのもだいたいこのへん。
なので空条さんはある意味アキバblogのような立ち位置で現在のガレージキットシーンを見ていると言ってもたぶん過言じゃないと思うのね。

そんなわけで「お前は手を動かしてる人間ではない」と面と向かって言われたら「その通りでございます」と答えざるを得ない

どこまで行っても空条は「ガレージキットをネタにしたマンガを描いて同人誌で出してるだけの人」で、決して「ガレージキットの人」じゃないんです。少なくとも自分ではそうじゃないと思ってます。

もちろん模型を作る楽しさはほんの少しでも体感してるから全くの門外漢ではないかも知れないし、基本は好きだからこそでそこに関わっている人たちのことをもっとよく知りたい、なにより知らない人に自分が原因で誤解を与えたくないという思いから勉強もしました。

でもたったそれだけの理由でホントに「手を動かしてる人」と肩を並べて喋ることはものすごく申し訳なく感じる。そんな忸怩たる思いに苛まれる機会が最近特に増えました。改めて振り返ってみるにこれってWF☆20を見に行ったその日からかも知れない。

WF☆20はまさに「手を動かし続けてきた人」による「手を動かす人」のための集まりで、そこには当然ながら自分のような外様の居場所はこれっぱかしもなくて、それだけに浅井さんや寒河江さんのお気遣いがひどくありがたくて、帰りの夜行バスの車中でメモをまとめながら「この場にいたからっつって外様のオレがわかったフリしたりだけはしないよう気をつけよう、でも伝えたいことはちゃんと伝えよう」と固く決意したのを思い出します。

実は2月はコミティアとWFの間に所用でもう一度上京したんですが、その上京のとある席で自分のことを「フィギュアのマンガ描いてる人」とか「魔改造のマンガやってる人」と紹介されまして。まあそんなに深く知り合う場でもないし大まかには間違っちゃいないから支障はないんだけど、色々ディテールが端折られててココだけ切り取られたら相当な誤解を受けるだろうなあと思った次第。
で、その席で某ベテランマンガ家さんとフィギュアとかガレージキットとかの話題に花を咲かせることになって、最近の完成品の話とか村上隆プロデュースのあれはどうなのよとか問われるままにあれこれと話をしてたんだけれども。

そこでちょっと上記のような不安というか悩みみたいなところをそれとなく打ち明けたところ「いやそれでいいと思うよ。中に入っちゃうと見えなくなるもんだから」と助言を賜り、それで少し肩の荷が下りた気がしましたよ。
何を言われるまでもなく自分はこの世界では外様だ、門外漢だ。でも外様だから言えることもあるし門外からしか俯瞰できないものだってあるだろうと。

で。本題の「手を動かさない人」のお話。
今のガレージキットシーンを支えてるのはまさに自分と同年代の30代前半を中間に前後10歳あたりの人々だと思うんだけれど、一方この年代には自分と似たり寄ったりの遍歴を持つ人は実は少なくないんじゃないかと思うわけです。
要するに「模型にハマりきる前にアニメやゲームに興味のコアが移っていって、そのアニメやゲームの表現に遜色ないクオリティの立体物が手を伸ばせば届く場所に出てくるようになったのでまたこっちに興味が戻りつつある、でも自分では作るヒマも腕もないから完成品で満足する」人。

それでも完成品を買ってくれるお客さんはまだいい。
けど困ったことに置き場所は有限。いかな独身貴族といえども物理的な理由で買いたくても買えなくなる時はいずれ訪れるわけです。実際ウチでも半額投げ売りで衝動買いした心滅ガロが行き場を失って大変なことになってるし(つД`)

WF☆20カテゴリで書ききれなかったエピソードにこんなのがありまして。

浅井さんがWF帰りの電車内で偶然自分の作ったキットを買った人と向かい合わせで乗り合わせた時。
ニコニコしながら手元の袋の中味を探る彼の表情が「へへへーこんなに買っちゃったー♪」から刻一刻と「…こんなに買っちゃったぁ…」に変貌していくその一部始終、「ガレージキットの魔法が解けていく瞬間」を目の当たりにしてしまった、と。

縦しんば彼は全部作る気でいたとして「これ作って、その次はこれ作って…」とシミュレーションしていった先に「…作ってどうするよ…」となったんだとしたら、もうその先は真っ暗なんですな。
ガンプラやカーモデルは作ってからそれを手に持って遊ぶわけだけど、フィギュアは基本的に作り上げたら飾る以外にない。んで一旦飾っちゃうとなかなか横にどけることができなくなって、置き場所はどんどん減ってゆき、「これ買ったとしてオレはホントに組んで飾るのか」と購入に踏み切るハードルの高さも一緒にじゃんじゃん上がっていく。
この『ガレージキットの魔法』というのは言い得て妙で、これまでのWFは多かれ少なかれその魔法によって支えられてきていて、そろそろそれが目に見えるかたちで解けはじめてきているんだろうと。むしろここ数年の売れ方が異常で、ようやく沈静化というか淘汰というか(ファンイベントで「淘汰」もないかも知れないけど)そういった「落ち着く方向」で流れができつつあるんじゃないかな、と。
でも完成されたその姿はまだまだ人の心を魅了する力を充分持っていて、だからその魔法の「一番輝いているシーン」を写真におさめて事足れりとする人が増えた、というより目立ちはじめたんだと思うわけですな。なにより実物と違って写真や画像なら保管場所にも困らないし、経年劣化もしないし。まして我が家のような魔窟では完成させたその日のうちに何らかの理由で修復不可能なダメージを負ってしまってもおかしくなかったりもします(つД`)

あと遠因の一つとして、みんながblogや雑誌を通して「きれいな作例」をあまりに多く目にしすぎてしまったというのもあると思います。
「造形は申し分なし、キャラも大好き。すっごく欲しい。でもこんな風にきれいに仕上げられる腕は自分にはないし、一朝一夕の頑張りでは身に付かないに決まってるからやめとこう。あー完成品で出ないかなあ」
正直こんだけ作例写真が横溢するとそこそこのスキルを持つと自負しているモデラーでも気後れする人は少なくないんじゃないかと思うんですよ。「オレが手を動かすまでもないかな」みたいな。
んでしかも完成品になったらなったで劣化だ泥人形だと騒ぎ立て、結局買わないなんて人もいる。ガレージキット版のエッジを見てなければ劣化なんて言葉が出てくるはずもないクセに。みんながどこかで少しずつ本末を取り違えてるというか、ちょっと不健全な目の肥え方してるんですよ

模型ってのはホビーなんだから本来こんな風に考える理由は微塵もないはずなんですけど、それに対してどこで自分に折り合いを付けられるか、という話ですな。今フィギュアはどこか模型から外れた「美術品」的な側面を持ちはじめてる印象もあるんで、そういったところで昔から模型やってる人とそうでない人の間で意識の乖離が起こってるのかも知れませんが。
まあWF写真ルポなんてやってるウチがこんなこと言ってみたところでダブルスタンダードもいいとこなんですけどね。

…とまあ、るーこ作ってた時はそんなこんなな事を考えながら手を動かしてましたってのを今さらに白状してみる。

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