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WF☆20に行ってきた・その2『はっはっは!ハズレや!』"|Syndicate this site(XML)|WF☆20に行ってきた・その4『色は塗られてないんですか』"

WF☆20に行ってきた・その3『ゴロですから』

※手元のメモを見つつ思い出しながら書いているので、随時修正or追記が入ります。悪しからず。誤記に関してご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。

第1部から若干の休憩を挟み15時すぎにスタートした第2部。その冒頭を飾る『WF20周年おめでとうメッセージビデオ』には、映像製作者である寒河江氏がWF草創期からの顔馴染みや平成ガメラシリーズなど仕事を通して交流を持つ原口智生氏、奥田茂喜氏、竹谷隆之氏が出演、各々のWFへの思い出などメッセージを寄せていた。

暗転が解け、浅井氏と寒河江氏が再登場。このパートではゼネプロから海洋堂主催として引き継がれたWFとその対抗勢力として現れたF-CON(後のJAF-CON)とのしのぎの削りあいの構図、美少女フィギュア時代の到来による来場者・ディーラーの嗜好(志向)の多様化から『リセット』までの流れを追う。

このあたりの時代を語るにあたり、浅井氏の世代(1970年代初頭生まれ)的に外せないトピックとしてコミックボンボンなどが呈示した『スターモデラーをプロデュースし模型シーンを牽引していく』図式がある。この『スターモデラー』とはもちろん、第1部でも名前の挙がった小田雅弘氏・速水仁司氏など作例モデラー兼ライターとしてHJ・ボンボンほか誌上で活躍し、ちびっ子モデラーのカリスマ的役割を担った人物のことである。
しかしこの当時に名を馳せたこれら『スターモデラー』の大部分は数年ほどで誌面から姿を消す。これは私見だが、恐らくはそれと並行してちびっ子モデラー人口も下降線を辿った(どちらかというとコロコロ主導のミニ4駆などにシェアを奪われた)か、もしくはゲームやアニメなどその他の娯楽に興味を移していったと思われる。

そんな中、彼らスターモデラーの中では「異様」もしくは「異常」と呼んでも差し支えない活動を起こした人物がいる。ある者は大学卒業〜就職とともに模型活動を終え、またある者は模型メーカーに入ることで技術を活かす道を選び…と表舞台からは退いていくのに対して、自らの名を冠した造形集団を興し更なるガレージキット研鑽に立ち向かうという茨の道以外のなんでもないような進路を切り拓く覚悟を決めた男。マックスファクトリー代表・MAX渡辺氏である。

第2部はこのMAX渡辺氏ともう一人、彼らスターモデラー/ライター達を使う立場でここの時代を生きてきた人物である前ホビージャパン編集長・伊藤克仁氏、そしてたぶん第2部じゃなく第3部のゲストとして紹介されるべきだったグッドスマイルカンパニー代表・安藝(あき)貴範氏をゲストに招いて語られる。
「アニメ・ゲーム・声優まで幅広くプロデュースするマルチメディアプランナー」と横溢せんばかりの胡散臭さをプロフィールに持つ安藝氏はかの黒歴史『キラメロ』の仕掛人だったり、SSの隠れた名作『クオヴァディス』シリーズを発表し2年ほどで跡形もなく消え去ったグラムスに在籍していたりもしたという、自他共に認める業界ゴロ
第1部のアマチュアリズムがそのまま一大業界を作り上げたような美談とはうって変わったきな臭いステージになりそうな予感に一抹の不安を覚えたのは空条だけではあるまい。

最初にMAX氏が「あのころ模型ライターで食ってけると思ってるやつなんて一人もいなかった」と当時を振り返る。
『ホビージャパンEX』エルガイムのムック制作のため家賃7000円ほどのアパートにみんなで詰めて延々作業を続け、なんとか無事に本も発行、ギャラとして十数万円ほどのまとまったお金を頂戴したところでふと我に返り

M「ちょっと時給に換算してみたんだよね。そしたらきれーいに100円って出たの(場内大爆笑)」

そのころ3つほど掛け持ちしていたバイトの中の1つ、水泳の指導教官で時給1500円が支払われていた時代のことだ。そうした「食えない」現実に絶望してドロップアウトしたりまたはMAX氏のようにモデルグラフィックスに流出していく後ろ姿をリアルタイムで眺めていた伊藤氏はさぞかし耳の痛い話であったろう(何しろそれから約10年を経て今度は電撃ホビーマガジンへの人材流出を余儀なくされているんだから)し、思わずMG誌上でHJ叩きをやっちゃったMAX氏の気持ちも酌んであげるべきなのかも知れないとさえ…

MAX「(他人事のような顔で)あーーーーーーー……そう…だったっけ…?」

うん。酌まなくていいや

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